ニナライカ

 
赤松先生の「画面構成力の凄さ」の一言で読んでみたのこと。
 
 
いや、それ入りだけですよね? でもそれが良い。
 
1回読んだだけじゃダメっぽいんですけど、2回目読むかは微妙なので、このタイミングで感想を書くのこと。
 
マンガって写真じゃないので、写真的な構図なんかでマンガになるかといえば、そんなの嘘ですよね。ありがちなのは、サイレントでイメージの垂れ流しをやってコマとかページを潰して自己満足、みたいなものが関の山というか。でも写真とか分からないし〜みたいな私のような読者は黙るしかないって感じで、読者を知的に踏みにじって勝ったつもりになるためのものですね。
 
ニナライカはその点で非常に読みやすかったですよ。どこの段階からかは分かりませんけど、物語に対する没頭を作れていたと思います。たぶん読者を引き入れる方法みたいなものがあるはずで、写真的構図に拘らずに、「写真を扱うマンガ」にキチンとなっていると思います。よって高評価です。
 
 
個人的な感想で自分語り的になってしまいますが、こんなに他人を信頼してないなーというのが本音でしょうね。その意味でもの凄く甘ったるい作品でした。人生で出会う99%までが写真の善し悪しなんか理解できない種類の人間なのでは?とか思うわけです。これが怖いから同好の士とだけイチャイチャして、傷を舐めあって、お互いの「分かってる感」を満たしあうだけなのでしょう?
それこそ写真を理解しようとしなかった芸能人のマネージャーみたいなのが「私の姿」だと思いますね。写真なんかわからないから「いいね?」とか相槌を打つしかない性格の良いフリを他者に要求しているだけのクセに、その期待を裏切られると泣いちゃったりしてね。あたかも相手が悪いみたいにドラマを創って浸るわけですよ。
その幼稚さを守ってくれてるのが、あの先生なのかな、と。で春人とかいう従兄弟?みたいなキャラは、その幼稚さを壊そうと働きかけてくるわけですね。けいおん!と同じ、永遠の楽園系です。
 
絵とか写真、音楽なんかで他者との共通理解に到達する自信みたいなのがないのですよ。お約束なぞって手加減して、相手にわかるようにアピールして、それでもたぶん分かっては貰えない気がしてしまうのです。今の年齢でこそ、何十時間か勉強すればお約束の存在ぐらいは分かるんだろうなぁ〜とか思いますし、そういう勉強を何十年と続けた人達になら、自分の作るものが一般的な想像力の範囲にしかないことを看破してもらえるような気がするんですけども、そうなると今度は自分の側がガイドを失う恐怖にさらされると思うのですよね。最前線になんてそんな簡単に到達できるわけもなく。
 
キャラクターの配置がモザイク的というか、なんか無駄がない感じとかも良かったと思います。まぁ、そんなにキャラ数が多くないから出来て当たり前ではあるんですけども。