雑記

 
マンガの批評が流行らない理由かぁ。なんだろう?
 
 
実際のところ、Jコミは批評や作品紹介のブログが沢山必要だと思います。いっぱい話題にしてもらって、みんなが読むといいなぁ〜って考えますよね。でもそんなパゥワーは私にはないっていう(笑)
 
えっと、自分の経験から考えると、人を集めるのにはメジャーなニュースサイトで取り上げられなければならず、そのためには必然的にニュース価値がなければなりませぬ。ニュースサイトの管理人様の事情を考えても、つまらない批評を取り上げたらセンスが疑われたりすることになるわけですしね。そのためその時期に話題になっている作品、且つ、謎とかを考察するように誘導してある作品じゃないと取り上げにくいでしょう。それを狙ってブログで批評記事を書くとなると、レンジはかなり狭くなってしまいます。
 
従って、Jコミはちょっと不向きかなぁ?とか思われます(苦笑) 基本、過去の作品群ですしね。
 
ウチのばやい、ネギまの魔法世界は火星かも?みたいな記事がたぶん一番カウンターが回ったんじゃないかと思うのですが、あれって人様のネタだったので恐縮しきりでした。この話は広めんとイカン!というなんか義務感みたいなのでやっちゃったのですけども。なんとなく申し訳ないことをしたかもなぁとか、いろいろと。
 
 
画像なんですけど、画像が必要な理由は、記事の「ちゃんとしている感」に大きく影響します。人にこのサイト面白いよ!とか言い易くなるわけですね。批評的にもこの場面のどうのこうの〜って書くときに絵があると分かり易いとかの機能が大きいですね。
 
一方で作業は手間です。しかも引用の要件を満たしていると考えられる場合だとしても嫌がる作者様がいるかもしれず、だいたい赤松先生すら「OKだったの?マジで?」なんて言っちゃってるぐらいなので……、作者様に「俺が描いたマンガ勝手に転載してんじゃねーよ」とか思われるのはムカつ 悲しいのです。読者側の心象も微妙ですしねぇ。
 
紹介記事と批評の線引き的なものもあって、ある程度まで話の流れが追える程度に画像が貼ってある方が、数字が稼げたりなんだり(笑)
 
 
ネタバレ問題もあって、批評をするとネタバレを追及しなきゃならないような気分なのですよね。「あれって結局はどういうことだったの?」みたいな疑問を氷塊させる目的のお客様に提供する商品なわけで。それって普通に商品を購入する動機を削ぐはずですよね。まぁ、あまり気にしないってデータをどこかで見た気もしますが、ネギま!以外の作品について書くときは考えちゃったりしますね。
 
 
批評内容についてなのですが、マンガ作者の批評能力がかなり高いので、素人が戦うのは無理がありますよね(笑) ネギまにここ数年ほど粘着させてもらって、やり方みたいなのとか、読み方は少しづつ見えてきましたけど、売れるマンガの法則的なものを求められても困るってのはあります。研究もある程度から先は先行者に対する配慮をもってこないとダメですし、かなりの勉強が必要です。ブログはその辺の面倒をうっちゃって、車輪の再発明をしているところもいっぱいあるわけですが、まぁ、ご愛嬌といいましょうか(笑) 私だってしらずにそういうことを何度もやっているはずですし、人のことをとやかくいえる立場にはありません。
 
どっちにしてもお金にならないし、人気作品だと2ちゃんまとめ系が掲示板を兼ねているので、そっちを見て適当にしったかを書き殴って終わりって展開でしょう。ちょっとそれっぽい書き込みをしたくなった場合、事情通のサイトをみるっていう感じで、無名なトコに需要はありませんよねぇ。
 
ネギま!の場合、専門のニュースサイト様というつよーい味方がいるわけで、(いつもお世話になっております)なんとなく感想を書き殴ってもとりあげてもらえたりなんだり(笑)
 
 
誰が批評を必要としているのか?という問題があって、作者が求めている場合と、ブログ読者が求めている場合とで必要になる情報は変わってきますよね。作者が自分の作品を応援しているブログを読んでいたとしても、それを明かすのは微妙な問題です。作者向けに書くのか、読者向けに書くのかも微妙になってきます。
 
否定的な意見を言う人は頭が良く見えるという頭の悪いデータもありますし、どう書くべきか?ってのは難しい問題です。
 
マンガ本体の情報が一次的で、批評は(よくて)二次創作なんですよねぇ。当たり前なんですけど、価値の目減り率がどの程度かは「タダじゃないと読まれないブログ」の立場を考えればわかります。金を規準にして考えてしまうのは虚しくなるので目を逸らすしかありません。
実はみんなお金は払っているんですけど、それは私へ、とかじゃなくて、接続料という形で、回線料金やプロバイダ料とかの形で支払われています。コンテンツがあるからネットに繋げる価値があるのに、コンテンツ自体にはあんまり価値はないってことですよね。
 
私が頂いているのは、読むという手間や時間、更新していない場合が多くて申し訳ないんですが、訪れるという行為そのものです。ありがたい話です。
 
 
批評者が成り上がるには、どっかの雑誌に寄稿するような立場になっていくしかなさげなのですよね。それには人間関係を構築して、誰かに引っ張り上げてもらう必要があります。政治家の選挙と同じで、批評内容よりも、有意義な人脈構築の方がメインの仕事なんですよねぇ。でもそんなヤツをひっぱりあげたいとは誰も思わないわけで(苦笑)、可愛げがあるとか、いい仕事しているって人をひっぱりあげるはずなのです。それでもフリーの立場だろうし、お金を稼ぐには作品を発表したりしなければならないでしょう。それには多くのファンを作る必要があります。それにはニュースサイトに取り上げれる必要があり(以下略)
この意味に於いて、批評でお金がもらえるようになることはまず考えにくいです。好きだから書く、好きな人が読む、お金の話とかするのは粋じゃない、生活はそっちで勝手にどうにしかしろ、ってことですよね。まぁ、私も余計にお金を払いたいとは思いませんから、それでいいと思います。
 
いまではニュースサイトの影響力よりもツイッターの方が大きくなっているかも。作家個人がメディア化する流れです。今までは作品がメディアとして扱われても、作家はメディアじゃなかった。今では作家自身が批評する流れでしょう。考えると今更の感がつよいですね。ツイッターで作家同士でいちゃいちゃすりゃいい。でしょう?個人ブログでその潮流に逆らうのにはかなりのパワーが必要です。2ちゃんねる的な集合有意識(笑)で悪意の垂れ流ししかないかも。
 
なんかスッゲー面白そうに書ける人ならそんなの気にしなくてもいいんですけどね。そういう選ばれ方をしている人ががんばればいいんじゃないっスか?(笑)
 
 
作品を読んでいる確率と、作品批評の関係は、「作品を、読んでいる/読んでいない」×「その作品の批評を読みたい/別にどうでもいい」で0.25ぐらいの基本値に落ちるとか?
 
 
1次的な羅列がこんな感じで、これを組み合わせたりして考えていくターンなのですが、面倒なので止めときます。