雑記(エヴァの気持ち悪いとはなんだったのか?)

いくつか言いたいことがあってですね。

・言いたかったやつ書き忘れたので追記
ガンダム、月で食料作ってるとかの話があって、植民地の作法らしい。植民地支配って、植民地で食料生産させて、支配国に運ばせてたそうですね。ベーシックインカムの話で抜けてた視点のひとつかなって。「機械による生産」を搾取して、ベーシックインカムを発動させてはどうか?と思ったんですけど、根本的なところが貴族主義的な文脈の可能性が出てきました。機械への搾取であっても、日本だと上手くなじまないかも? 悲惨な言い方すると、大国の植民地になって、世界のために奴隷労働する方が文脈的にお似合いってイメージ。そんなのに付き合っていられませんけども。
 
・山田くんとLv999の恋をする
この話がムカついてしょうがないんスよねぇ~。でも「なにかある」って意味なんで考察してみるんですけども。「ムカついた」も「感情が動いた=感動」ですしね。
好きなアニメ作品で、ネト充のススメってのがあって、盛岡森子風だといいなーとか思ってたんですけど、まったく違ったという。それはこっちの勝手な期待だからいいんですけども。ヒロインのアカネがぜんぜん努力しやがらんのです。「まさか、努力の方向性が違うだけとかって展開!?」となって、ドンピシャで、アイタタタとなってます。ネットとかゲームとかでぜんぜん努力してなくて、リアルで努力してます展開。あぼぼぼぼ! どうしてもゲーム配信者のイメージと重ねて見ちゃってる関係があるので、リアルアタックかーって。アニメは最後まで見届けるつもりですけどね。世界観とかセンス違いすぎて異物感すごい。はえ~って感じ。
 
 
〇「気持ち悪い」の解釈論。
エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君にから、ラストシーンの「気持ち悪い」について。考察はなるべく制作意図とかに沿った形で行うようにしているんですが、今回は解釈論なので、個人的な妄想に近いアレです。「私」みーつ「ヱヴァ」でペンパイナッポー・アッポーペンしたやつですね。ヱヴァって作品と、私の外部構造、ペルソナとか、インターフェースとの接点に、私にとってのヱヴァ的なものが生じるんですけど、とても個人的なものになる場合があるんですよね。体験化するというか。作り手の手から離れるんですよね。個人的な体験としてのヱヴァってなるとソレはもう作り手の所有物ではなく、別の何かなのです。そういうのを考察とは言いたくないし、あまり書かないようにしているというか。出す場合もあるんですけど、前置きしたり、分かるようにしてるつもりではあります。
 
直接的にはYouTubeで気持ち悪いの考察動画見たんですけど、合わなかったんですね。そうじゃねーだろ、と。相手の解釈が気にくわないなら、自分の解釈を出すべきなのですよ。否定するのではなく、創り返すというかね。良いことは言ってたと思うけど、ちょーと違うんじゃないの、それ?ってね。
 
そもそも「気持ち悪い」ってのは、生理的嫌悪でしょ。だからヤバいわけでね。理由があんまり無いというか、論理的な問題じゃない、感覚的な嫌悪、拒絶「だから」、ヤバい。理屈があって気持ち悪いって言いました!だと、まだ抵抗できる余地がある。生理的嫌悪を喰らったら無理です。諦める云々以前に、その時点でゲームセットです。
 
考察論的には、悪くないとも思ってしまう。人類補完計画とは何か?というと、「E=mc²」による2重状態だと考えています。
水が、固体・液体・気体といった状態を変化させるのと同様に、物質は物質でありエネルギーでもある。状態がとりあえずふたつある。電気が分かりやすいんだけど、電気に個別性はないわけ。水の場合は、含まれてる不純物とかミネラルとかで、「どこそこの水」って判別できる場合もある。けど、エネルギーの場合、アメリカの電気とか日本の電気みたいな区別は出来ないんだよね。混ざっちゃったら、それはただの電気、もしくはエネルギーになる。このすべてを区別のないエネルギーの状態にしよう!ってのが、人類補完計画の最終段階なわけだ。だいたいの人は魂とかを想定してると思うんだけど、そもそも物質がそういう性質してんのよ。
 
このエネルギーからの視点で見た時に、なんで物質状態になってんの???って疑問とか視点が生まれて、それに対してヱヴァは「ATフィールドがあるから」って答えているわけ。面白いよね。そもそも宇宙が始った段階では全てがエネルギーだったはず。それが物質になっている。なぜ???ってね。ATフィールド、心の壁、それがなければ、エネルギーのような同質の状態に戻ってしまう。旧劇場版のラストシーンで、シンジは人として生きることを選んだ。原初の海の砂浜で、アスカと二人横たわっている。なぜかアスカの首を絞めるシンジ。その顔に優しく手を添えるアスカ。泣き出すシンジ。「気持ち悪い」で〆。
 
直観的に正しいんよなー。他者同士であり続けるってことは、ATフィールド=心の壁があるわけで、同質として存在できない以上は拒絶するよね。考察としては「ここまで」だと思う。ひでぇ!とか笑っちゃったりとかもしたけど、まぁ、まぁ、感想の範囲だわな。
 
 
んだば、解釈論に入ろう。今日の本題な。
「気持ち悪り!」って思わず言っちゃう状況って何?って。これって、作品内にあんの? たぶん、正解は作品の外側にあるんだよなーって。アスカの感じた気持ち悪さってなんだったの?って話だよね。泣いてるシンジがキモかった? どうして? そもそもあの時、あのシチュエーションで何を感じ取ったのさ? アスカ視点でアスカが得てる情報からしたら、ほとんど何もわからんやろ。
 
そこで別種のキモさを当てはめてみよう!と思ったわけ。逆シャアのラストでシャアが「ララァは私の母になってくれるかもしれなかった女性だ」「お母さん?」
 
 
あっ、……これじゃん
 
 
てか、まんまじゃね? ビビりました。「綾波は僕のおかあさんになってくれたかもしれない!」「てか、母親のクローンじゃん」ってなったよねー。綾波ルートはテレビ版の人類補完おめでとうエンドになるからね。アスカルートの場合、アスカに全面的な救いを求めたら「気持ち悪い」って言われるよなーって。まぁ、ね。シャアがララァに面と向かって「私の母になって欲しい」とか言ったら、ララァははぐらかすように「ふふふ」って笑うのかもしれないけども。ララァニュータイプだし、マザコンの気持ち悪さみたいな表面部分ではなく、ピュアだなって受け止め方をしてくれるのかもしれない。新劇場版のマリは割と悪女でファムファタールなところがある。ララァと同じく、はぐらかすタイプかもしれず。シャアは母親を求めたのではなく、ララァを求めていたわけで。ララァを与えたら、納得するよなぁ。
 
いやぁ、このね、シンジ=シャア説がドンピシャすぎてつらひ。アムロじゃなかったんだねぇ。つまり、ヱヴァって富野御大が主人公だったんです!な、なんだってー!? ライバルのアムロがいないから全部自分の責任になっちゃう世界っていう。そして迷いがなくなったら無敵で無双するのもシャアそのまんま。てか、フロイトの性欲が原因並みに万能の可能性があって、検証しなきゃなんだけども。
 
超くっだらねーけど、面白かったので更新しましたとさ。