通暁に至る(+非モテと人生の目的)

身体意識の話と、ちょっとシャアなんかの話。
 
 
■ 通暁に至る
経緯の説明がたぶん正確にはできないし、再現性もないと思うんよなー。悟りの続編でもあり、身体意識論にもなっているという。
運命の人(結婚済み)と出逢ってしまい、自意識の苦しみを散々やった末に辿り着いたというか。いや、三軸格定して無心すりゃ消せるんだけど、何度も何度も戻ってきちゃうんだ。それだと格定できてるとは言えないわけでね。突き詰めて行って、苦しみ抜いた先で、まるで論理的じゃない結論に至ったわけだ。
 
本当のところ「離婚して突撃して来られても困るだけじゃん?」とかさ。あまりに苦しいから捨てに掛かったんだろうね。たぶんお互いに苦しいわけよ。結婚してるヤツを口説くわけにはいかない。相手だって結婚してるのにアプローチするわけにはいかない。でもお互いに好きっていう。男から口説くべき? 不倫しろってこと?なんだよな。まともな人間だったら不倫なんかしねーんだよ!って。俺に何を望んでんだよ?とかさー。本当に堂々巡りするっきゃなくて。いまから思うと地獄かもしれなかった。
 
論理的には解離しちゃうんだけど、直観とか啓示に近い感覚で「好きだけあればよくね?」ってなったんだよね。これが割と目からウロコで、セックス出来なきゃ恋愛としては失敗だと思ってるところがあったんだけど、この歳になるとさすがにそれも「ちょっと待てよ?」にはなるんだよな。実は恋愛のメインコンテンツって「好き!」じゃねーの?って。セックスなんて好きに付随するオマケの何かかもしれなくて。
 
先日の久保田未夢も推しの話をするとテンションが上がってたみたいに、推しとか推すって、好きってことなわけだ。好き活動だよね。自分の好きを肯定する、愛する。テンションが上がる。自己満足する。これが双方向になるのが恋愛なわけでさ。相手も自分のことが好き!ってことがだんだん希少になっていくんよね。それはもう年齢的なものもあるし、立場とかもあるだろうし。そもそも感情が動きにくくなっていくからなんだろうけども。
 
そんなので「よし、良いだろう。では俺の無限の愛をぶつけてやろうではないか」とか悪い顔してみたりね。やってみたら、そんなすぐ上手く行くようなもんでもなかったりしたんだけど。それはともかく、エネルギー・パスが通っちゃったんだよね。愛だの好きだのを隠そうとしたり出さないようにすることで、自分を内部から攻撃しちゃってた。素直に外に出して表現しようとすると、メッチャ楽になった。エネルギーが通るようになった。
 
何が起こっているのか?といろいろ考えて、軸の3要素なんだろうなって。ストラクチャー・モビリティー・クオリティー
ストラクチャー、構造化。これは軸の実体化が作用しているっぽい。かなりがっつり実体化の作業してたからね。今の段階が、モビリティー。エネルギー・パスが通った状態。通暁と呼ぶことにした。通暁というと、物事に明るい、詳しいみたいなことを言うんだけど、暁って要するに朝の太陽のことなわけで、それに通じているんだよ。エネルギー供給とかの根っこが太陽に近い規模なので、たまたま目に付いた通暁がぴったりというか。最後がクオリティーで、「ブライトネス」「輝き」だね。
 
つまり、軸ってのは、「実体化」させて「輝く」ところまでが必要なんだと思うんよ。そして輝くにはエネルギー・パスが必要であって、そのエネルギー源は、わかりやすいところだと太陽とかなわけさ。だから通暁なんだよ。
 
 
そもそも軸って複雑すぎて、要素的にはパッと思いつくだけでも、3軸格定、調律(背伸ばし)、集束、実体化、通暁、輝き、委ね、ぐらいはある。これらを一括りにすると「極める」になんだけども。
 
うーん、この辺りの話はまとめるのに苦労するから放棄して部分はあるんだけど、現実問題、自分があらゆる分野のトップになんてなれるわけないがない。だから「凄い人はいっぱいいるよね!」と周りを認めちゃうと楽になれる。それは知ってた。「好き!」まで行かなくても、「凄い」でも似たような効果があるんだろうね。感情を好意的・肯定的に吐き出す・アウトプットしておくと、自分の感情を濁らせないで済むというかね。流れとか通路が必要なのかもしれない。
 
これがねー、ジャンププラスで連載してる「2.5次元の誘惑」137話でまるで同じこと言ってんだよね。結論として心に愛を宿せと言ってるんだけど、そこだけ間違っててさ。それはカミーユなんだよね。「憎しみを生むもの、憎しみを育てる血を、吐き出せぇ!!」って。何をやろうとしてるのかっていえば、憎しみを外に吐き出して、内側に愛を宿そうとしてんだよな。でもその結果は? ぜんぜん良くならない。憎しみを吐き捨てても、愛は宿らないんだよ。
 
吐き出すべきは、愛だったわけでさ。
 
愛を宿すには、愛を吐き出せばよかったわけだ。「好き」だのが照れくさいなら「スゲエ」でも可。
自意識の苦しみの大半はこれで解決できると思うけど、行動に移せない!だのの部分が残ってて、これを世の中の偉い人なんかは「バカになれ!」って言ったりしてるんだよなー。考えるな!バカになれ!ってのは、ちょっと変えるとブルース・リーのドントシンク、フィールになるんだろうけども。
 
身体意識論だとブライトネスが足りてなくて、「愛になる」といった視点が必要になりそう。一方で悟りとか神との対話シリーズとしては、ゆだねるなんかが足りなくて、ほぼほぼ軸で解決できちゃうっていう。自分の中での両輪だけど、なんだかんだ強く影響されてるんだなって思ったりなんだり。通暁でした。
 
 
非モテと、人生の目的と
推しの子のアクアががんばってるなーって思いつつ観てて、復讐を題材にするとピカレスクに寄っていくわけだけども。先日のシンジ=シャア説みたいなのを書いた関係もあり、シャア、ルルーシュ辺りのキャラのことを考えてしまう。
 
シャアは本当にララァを求めていたのかな?って思ってしまうんよね。1stだとザビ家に復讐を誓っていることから、たぶんその他のことを投げうってるんじゃねーかなって。復讐みたいな目的があると、自分の幸せとかを平然と投げうてるんだよね。俺も現状、自分の幸せなるものを投げうってる状態にあるんで、割と位置関係が近かったりするんだけども、明確に違ってる点として動機、もっと明け透けにいえば目的がないんだよね。
 
シャアがララァには手を出していないって話がある一方で、オリジンの安彦良和は当然ヤってるでしょ?みたいな割とゲスいところを突いてくる。富野御大だとヤってない可能性が割と高いだろうなって思っちゃうんだよね。それはシャアが復讐者だから。自分の幸せを犠牲にしてでも目的を果たそうとする。幸せになっちゃったら、復讐に突っ走って命を懸けられなくなるかもしれない。それこそを恐れたのではなかろうか。だって復讐したって得るものなんて大してないもんね。ララァと出逢ったのは娼館だし、そこで行為そのものはしてたろうけど、それは性欲を捨てるための行為であって幸せのためじゃないわけでしょ。作中でララァとかクエスを兵器のように扱うのも同じ理由からだよね。幸せなんか求めてないっていう。
 
ルルーシュに続いて、まぁ、P5とかはあったけども、また星野アクアが登場して、結局のところ復讐ぐらいでしか命を燃やせないってことかーって思ってしまった。「幸せになりたい」がまるで人生の目的であるかのように語られ、一方では「夢をもとう!」みたいな曖昧で実感のない言葉が横行していた。要するに人生の目的が消失していたわけだ。命を懸ける理由がない。
 
なろう小説とかって、やり直したい非モテの後悔の話だ!みたいなこと言われたりするけど、考察として浅いよねー。見たまんまっていうかさ。そこに知性の欠片も感じないでしょ? バカにしてマウント取りたいだけじゃん。俺は、正義の味方には悪の秘密結社が必要だってことだろうと思ってた。けれど、もっと、異世界に行けば目的があるかもしれない!って切実な想いが根本の動機だったのかもしれないね。命を燃やしたかったのではなかろうか。動機がなくても戦えてしまうっていう実感だけはあるんだけどさー。
 
非モテっていうけど、シャアだのルルーシュだのアクアなんか目的があればむしろモテなくてよくね?ってなっているだろ。本当のところは、目的を持ってない奴が非モテなのかも。