戯言(面白くないって言うなッ!とかいわれても・・・)

 
 
1.作品と作者
   ↑
2.それを面白くないと罵る客
   ↑
3.それを聞かされて怒る別の客
   ↑
4.愚痴なのか怒りなのか、それを聞かされる自分
 
 
3は本人に向かって直接言え!とか思う。
2も作者に向かって言え!と言うべきかもしれない。
作者に説明責任ってあるのかなぁ?
 
お金を払ったのであれば、つまらないと言う権利は発生するだろうか?また、楽しめた客はつまらないという意見(批評)を聞かされる筋合いはない?勝手に聞いたお前が悪い状態?おまえの発言による後味の悪さ分の金を払え?憲法持ち出して、自由に発言する権利の有無うんぬんを議論すべき?
 
3の擁護は善意の発露のつもりかもしれないけど、お前はこんなこともわからんのか!的な上から目線でウザい。
(自分も「こういうの」をやってんだろうなー、とか)
 
そもそも作者はダメな観客にも分かるように作るべきだったのでは?という部分はどうか。読解力がある(つもりの)観客にしか読み取れないような作品にした時点で子供向けとはないのだとすりゃ、作者が元凶?
  
でもその作品を見てない私。(何の作品かは大体わかるとは思うが)
 
 
まぁまぁ、となだめるのが大人な態度だろうという大人的判断。
 
でも、善意のフリした狭量さの気がしてしまうんだよなぁ。
 
 つまらない作品に怒る人。
 つまらない批評に怒る人。
 
褒め言葉しか聞きたくないのは分かるけどねー。
 
でもその世界に歩み寄りがあるのかいね?
 
つまらないと思った人は、永遠につまらないと思ったままでいなければならないとしたら、真につまらないね。
なんでもかんでも最初から面白いと感じなければならないとするならば、ニュータイプにならないといけない。
 
今すぐ、愚民どもに英知を授けてみせろ!(笑)
 
 
でも、基準を限りなく低くしない限り、つまらないものはつまらない
 
つまらないと私が感じた場合と、面白いと感じた場合で意見は変わってくる。
 
つまらない場合の方が、「まぁまぁ落ち着けよ(ホントニツマラナインダカラ)」とか言い易い気がする。
 
私が面白いと思った場合に、つまんねーとか言っている人に対して,高確率で見下しが発生する件。「フフン、こんなこともわからないのー?」的な(笑)
 
 
自分が「クソつまんねー」とか言ってるときに、めっちゃ褒めてる人の意見は参考になるけどね。「おいおい何処がそんなに面白かったんだい?」ってね。
 
 
作者って勝手なことをいいまくる客(批評家・ブロガー)に対して我慢してるんだろうなぁ。
めっちゃ褒めまくってるのだが、いまいちズレたことを書いてるのを見かけたとしても、褒めているからOK?とかありそう。
 
どうせ、作者に影響を与えることが出来ないのだとしたら、自分で別の作品を作ることでしか復讐を果たすことはできないのかもしれない。
 
単に、八つ当たりされたくないだけ?
 
 
「つまらない」とはどういうことだろう。
 (1)満足感がなくてさびしい。心が楽しくない。
 (2)興味がもてない。おもしろくない。
 (3)とりあげるだけの価値がない。取るに足りない。下らない。
 (4)ばかばかしい。不利益だ。
 (5)得るところが少ない。するかいがない。
 
この作品を観ると決めたことが選択ミスだった、という意味だとした場合、
他の連中はこの程度のもので満足できたのか、プッ幼稚だな。ってことか?
 
……に対する、見下し返しをして、幼稚なものとか言ってんじゃねーってこと?
 
 
人間が同じ方向に成長しなければならないってのは幻想だろう。
とりあえず、そんなことも分からないの?(ぷっ)と結論を固定しておこう。
 
その作品から得られたものは、その人間の目的には適さなかった場合、つまらないという評価は正当なものかもしれない。一方で、その作品から自分が多くを得られたからと言って、多くを得られなかったことを、知識や読解力の責任にしてしまうのは、前提として同じ道を歩んでいるという近視眼的な決め付けがあることに気付いているのだろうか?
 
でも、作品はそれと触れる接点で、作品と人間(の解釈とか)との合作でもある。作品は消費されなければ完成しない。ここを逆手にとって、読解力が無い人間はクズ!とかってやってしまい易いわけだ。一理はあるかもしれないけど、絶対的に正しいわけじゃない。
  
ガニメアンのような絶対平和主義的な人達は暴力の必要性には理解を示さず嫌悪するだろう。それに対して暴力性が分からないなんて知能ナッシング!とか嘲笑するのだってナンセンスだ。
 
でも、それは他者の性質が分かって初めて考慮できることでもある。
  
某巨大匿名掲示板での気楽な書き込みや、映画館で隣に座っただけの人、私のようなマナーの悪いブロガーとかに対して「他者の性質」を考慮することができるだろうか?(可能かどうか)また、考慮すべきだろうか?(是非の問題)
 
  
黙っていろ!というのが一般的な態度かもしれないね。あーめんどくさい。
 
 
普通、クレーマーというのは弱点を教えてくれる。飲食店とかだと黙っていなくなる(来なくなる)のが普通だから、常識的なクレーマーを有難いと思う所は多い。まぁ、それを逆手に取って無茶いうクレーマーが偉そうな顔するのはどうかとは思うが、独善かどうかということは他者(社会)が決めるものだからある程度までは仕方がない。
 
自己基準を絶対視するという意味で、面白いという主張もつまらないという主張も、独善でしかない。
 
でもそれを言い始めたら、黙っている以外の正解がなくなってしまう。
 
逆に、みんな正しくない(間違ってもいないが、正しくもない)のだとすれば、どーせ誰も正しくないんだから、何を言ってもいいだろ?的なところに行き着く気がする。
 
その状態だと規範・モラルが下がって、結局レベルは下がるよなぁ。つまらないものになるような仕組みに利益はないよ。だけど、その向こうでは休日が増えて人間らしく生きられる人がいるのかもしれない!(笑)
 
 
時間がかかるだけで、他者に不利益なことをしていたら、淘汰されるのではなかろうか、という曖昧な判定もあるさ。淘汰されない間は、適者生存、正しいのだから、何をやっても良いとか?
 
ふわゆる愛されブログなら正義? ボカ!スイーツ。私は死んだ。
じゃーやっぱり、ふわゆる愛され作品を作れなかったから、最初の作者は悪ってことに。んなわきゃーないけど。
 
なんだよ、結局は楽しめた奴が勝ちってことかい?ちょ。
 
結論。
 
俺がジャスティス! 射手座午後9時・キラ☆ミ
この邪気眼が発動したら、15秒以内に近くにいる人にエターナルブリザードしないと乳酸菌。
 
 
 
欝だ、吊って来る。 ガッ臭国日本バンザイ!