雑記

 
本を読むのが嫌で仕方が無い。
ネットとかでは字を読んでるんだけど、もう本の何もかもが嫌って気分。
神のみの図書委員と逆で笑う。本の構成が好きって意見には同意するんだけど、どうにも受け付けない。
きっと本はページが光ってないのが問題なんだよ!とか妄想してしまう。画面は光をだしているけど、本は私の目から光を出して読み取らなきゃいけなくて、それが面倒なのかも?とかもうむちゃくゃなことを考えてしまう。
 
 
とりあえず、バキと医龍を読んで来た。
刃牙の方は、これ何人ぐらいわかるんだろ?とか思ってしまう。いや話の内容は簡単だから誰でもわかるとは思うのだけど、読み所っていうか、アレは作者がどの程度高岡にデレたのか?という話なわけで。
 
武蔵っぽいけど、高岡英夫なわけさ。記号的にも使い易いからそうなるんだろうなぁ。だけど、師匠を負けフラグで使わないで欲しいなーとちょっと思ったりもする。
 
単なる突き一発でトキメク感じというか、怖いっていうか。アレはオススメできないけど、いい経験になると思う。「強く生きてる」時、死が近付いてくる感じがする。怪我をすると強く生命が働くのと同じだと思う。だから強く生命が働いていると、死を感じるような仕組みがあるんじゃないかと。生と死は閉じた円なのではなかろうか。どっちに近付いても、逆のものが強く感じられるような仕組みがあるような気がする。
 
ま、私にはマゾ度が足りないのだけど。
努力できるかどうか?というのは、その人が真面目かどうかだけじゃなくて、幸運の問題が絡むと思う。
 
 
医龍の方は、朝田の意味不明っぷりに周囲が振り回される展開か。以前から気になっていたんだけど、天才の心はわからないと言わんばかりに、朝田に対してはモノローグを使わないのが肝になっている。そりゃ加藤ちゃんを裏切る気はないんだろうけど、やっぱり話作るのが巧いと思ってしまう。しかし、演出的に元UCLAが朝田より下扱いじゃないと成立しない部分があるから、その辺のバランスを中心に追っていこうかと思う。
 
とめはね はどうなるのやら?(笑)続きどこで描くのか気になってしゃーない。がちゃぴんのいない間にヒロインと仲良くなる家族とか(笑) あの家族フラグって甘酸っぱくていい。なんというか、家族のことを好きならついでに自分も……みたいな下心とか(笑)
 
クピドは相変わらずえげつないのを淡々と書いているみたいで安心した。北崎拓でいうと、「たとえばこんなラブソング」のガッカリ感は凄いものがあった。アレはなんだったんだろう。クピドは当たりだよなぁ〜と思いウィキペディアをサラッと読むと、アシスタントに曽田正人(め組の)と乃木坂太郎医龍)が並んでて吹いた。
 
スピリッツの建て直し(プラスの建て直しかどうかは知らないけど)が始まっているっぽいのでどうなるか注目している件。山田玲司もだけど、来週の井上和郎は題材からしてビンビン来るものがある。
http://spi-net.jp/this_week/index.html
 
 
ヤスコとケンジっていうドラマが楽しい。広末の殺陣はダメだけど。どこが良いのか分析できてないけど、クソアマ!発言とかかもしれない。女性に優しくしないとダメみたいな窮屈さが無くて、純愛風に感じてる気がする。
 
戦後の日本は父親スタイルの模索というのが課題の一つなんて話も聞く。亭主関白や頑固親父スタイルが廃れて、アメリカ風の友達パパに失敗したのか、ドラマの中ではへたれ父ちゃんが増えてしまった。イメージってのは強力だから、現実がそういう方向に侵食されるんだろうなぁと思ってしまう。もうちょっと、ちょうどいい父親スタイルで落ち着けばいいのだけどね。
 
顔だけで見たくなるというと藤木直人とかなんだけど、シバトラは題材がめんどくさい(笑)コードブルーは山Pと戸田と新垣が喰い合ってて、イマイチ面白くなかったりする。それだと正義の味方がいい。
 
って本読まない代わりにドラマとかアニメとか見まくってるなぁ。
 
 
・ALN日記7/22分の件
あの話は前提が分かりにくいなぁと思っておせっかいしてみる。
通常、機会損失は在庫によって発生する。売れ筋商品を仕入れたいけど、在庫があまっててお金がなくて……ってのが普通の機会損失。在庫はお金が遊んでいる(待機)している状態だからだ。本は腐りにくいけど、ずっと売れないまま倉庫に眠ってしまっても無駄になる。
それに対してロングテールウィキペディアに詳しい)でイノベーションってことなのだろうね。
 
アマゾンの方でも中古の本屋を入れたりして品揃えをカバーしつつ、値下げしてどんどん売ろうという方向が見られる。程度の問題だけど、15巻の限定版の話を聞くにやっぱり在庫が残り過ぎると機会損失ってことだろう。その辺りはロングテール理論にしてもリソースの配分の問題なのではないかと。
 
 
書籍・雑誌の流通〜
http://www.jftc.go.jp/pressrelease/08.july/080724tenpu01.pdf
 
これなんてニュースサイトに取り上げられてたからもう有名だろう。詳しく読んではいないけど、本は増えているけど、売れてないとかの話。本が売れないから、更に数を投入、とかしてるのかも。
 
選択肢が増えすぎると迷うものだけど、結構いろんなところで同じ系統の話題を耳にする。これって多様化によるフラット化現象だよなぁ。例えば、オタクもいまや同期取れないだとか、テレビは万人向けに作ってるからつまんねーんだよ、とか。
 
(参考)
http://www.cyzo.com/2008/07/post_728.html
http://www.cyzo.com/2008/07/post_729.html
 
昔は酒を飲むのが最高の娯楽だった → 若者が酒を飲まなくなった……とかも結局は同じ話だ。肉が食べられないから、焼肉が最高のごちそうだ!とか。(それも今や野菜よりも下手な肉の方が安かったり)昔でいうメロンは高級品とかがメロンの価値を決めている。
 
価値感が多様化することにより、フラット(平坦)な世界を作る。ある意味、統一的な価値感を作るのに失敗しているということでもあるのだろう。それでコミュニティ形成にも問題が出てきているわけだ。
 
コミュニティは閉じた輪になっていないと、求心力を失う。ネギまブロガーは連載終了後にどうするのか?みたいな話がちょっと前に流行ったりしたわけで、コミュニティを閉じて、広さに価値を求めずに、深くしていくことが求められる。情報が拡散してしまうとコミュニティの強度は落ちる。コミュニティは人間で形成されているのだから、コミュニティの強度が落ちると人間が離れていく。
 
漫画・アニメ・ゲーム・ドラマといった多メディアでの関係強化(多方向からのアプローチ)は、頭を習慣付ける効果があるけど、同時に多様性にも繋がっていく。
コミュニティでの絆が強すぎると友人関係などが発生し、生活レベルでの負荷や、新参者に対する排他性(間接的なやつ)も発生しやすくなるだろう。このコミュニティ強度の匙加減は難しい部分だと思う。
 
個人的にはネギまに関してなるべくダイ大(ホントはうしとらも)だけで読み解きしたいなぁ〜と思っているところがあって、色々勉強する必要なんぞないってのが理想。比較なんて2つあればいいじゃん、みたいな(笑)まぁ、中々そう行かなくて困ってるんだけどw
 
 
統一性と多様性の戦いみたいなものは、何時の時代にもあると思う。個人的には、メタ的には統一の方向で、部分的には多様性で処理していくのが正解かもしれないと思っている。抽象と具体の関係も似たようなもんだし。
 
 
ばんばん話が逸れているのだけど、ランキングの話。
 
「アニオタが非オタの彼女にアニメ世界を軽く紹介するための10本 」ってエントリをもじったのが流行っているけど、いくつかは10本目にそのままハルヒが残っていて笑った。
 
アレって、結局は「キモくない作品ランキング」なわけでしょう。その結果、キモくない作品を勧める自分もキモくない、とかの投影かもしれない。その意味ではハルヒなんて高度にオタ的な作品が10本目として残されているのは時代の空気なのかなーと驚いてしまう。
……本気でアレをやる気なら、アニメ限定とかの縛りなんてまったくの無意味だと思うし。オールレンジ攻撃するか、一点突破かは相手の反応を見ながらだけど……(笑)ま、キモイと分かっていてやらないとダメだと思うし、放っといてくれる人も結構、有難いと思うし。
 
ランキングといえば、ニコニコの強さってランキングが巧く働いていることにあると思う。それもこれも動画を作る人間の数に支えられているんだけども、動画に暫定順位をつけることで垂直な価値感を巧く演出している。動画の数による水平性から垂直性への動的構造(運動性)が上手に働いていると思うわけだ。(ランキングの胡散臭さは勿論あるんだけど)ランキング以外にも外部のブログから誘導することもできるしね。
 
アマゾンはの方は、☆つけたりの書評だろうね。
生産消費活動(無賃労働)によってランキング付けされることなんかは、典型的な要素でもあると思う。労働に対価を求めよう!(笑)
 
 
別に新たな結論とかがあるわけではないけど、
当分は、多様性・フラット化・コミュニティ形成・ランキング・リーダー(フォロワー)・生産消費活動・労働の外部化なんかが機能する概念かもしんない。総合的に捉えていくのがいいのではないかと。それとボランティア的な無賃労働の「見えなさ」に気付かないといけないと思う。
 
 
天才って、見えなかったものを見えるようにする人のことかもしれない。
 
 
・シーン選択の気楽さ
またまた全く関係ないのだけど、シーン選択の話。

キャラクターの描写が正しくて、シーンの選択が正しければ、おのずとストーリーはおもしろい ……って言った偉い人がいるわけですよ。
 
問題が起らないことと、素晴らしいものが出来上がる、ということは必ずしも同じとは限らないけれど、「おのずと〜」(自動的に)という言い回しはいいなぁと思う。
 
人生だってシーン選択だけでなんとなく繋がっていくものじゃないさ。色々なものを後付けして、理由は後から考えたって大抵は間に合う。それどころか、ストーリーは勝手に見出される。後は、同じ失敗を繰り返したくない場合に、ちょっと先に動いたりする回数やら内容やらが増えていって、気が付いたらガッツリ準備かましてるのが実情かな、と。
 
なんとなくタイムリーな感じがしたので。
 
 
まったくまとまりがないけど、まぁそういうブログだし、いっか。