雑記(挫折)

 
神のみの分析を試みるも、挫折(笑)
ありきたりなことならなんとか書けそうなんだけど。とりあえず前日に購入した2巻を再読。カバー内側に 以前にみた「あの2ページ」があって、目から変な水が出そうになる(←きっと緑色)なんとなく、この主人公ってジジイくさいなぁと思ったりする。
 
ナルガクルガの野郎に勝てなかったので、外出。チッ。
 
 
図書館にて瀬島龍三の回想録「幾山河」を発見。ぺらりとめくった場所には大東亜戦争の文字が。「戦わざるを得ない状況に追い込まれた……」みたいな文字が並んでいる。おおっ田母神論文と同じではないか、もしやこれが元ネタってことか?と思い、そのまま借りて来た(笑)しかし、分厚くて参った。
 
粉コーヒーを購入。セブンプレミアムとかいう自社ブランド品。オリジナルブレンドとヨーロピアブレンドとがあって、しばし悩む。ここには物語マーケティングが必要だな、とわかった風なことを思う(笑)
 
しばらく前に「ハイ・コンセプト」読了。手垢が付いているとは言わないけど、目新しい内容ではないようだ。(えっと、……)「とめはね」を読んでいて知っていたことだけども、字を書くにせよ、絵を描くにせよ、スペースを(間接的に)かく、ということをしなければならないわけだ。イラストなんて描くことないしなぁ。
 
ああ、でも来年か再来年、ブログの内容をまとめて簡単な本にしたいので、イラストの練習もした方がいいのかも(笑)んー、でもネギま本だと手抜き出来ない気がするからなぁ。このブログを読んでくれている人は買わないようにしつつ、間違って買った人にはさほど失礼でない本にするのってやたら難しい気が(笑) ここで大事なのは戦略的に勝利を確定しての戦いってことですよ!この場合、儲けなければいけないってのは戦術レベルに勝利をゆだねているわけで、とかなんとか。リスクマネジメントって楽しいなぁ〜とか言いつつ、まだ成功していないことの裏話は控えるのであります。
 
まずはナルガを倒す。そして「人生」を見る。話はそれからだぜ。
 
ベイビーステップで荒谷方式でプロになろうとしているえーちゃんを見て、「ケッ」とか思う。アレでプロになれんだったら荒谷戦での説明通り、最初からそういう才能があった、ということになんじゃん。でもまぁ、漫画的な説得力と、現実の方法論との兼ね合いからすると、あの辺りで満足するしかないんだと分かっているだけに、「ケッ」ぐらいしかいえないわけで。大体、日本でまともに世界に通用する選手がいないのだから、変な練習法を描いたら説得力がなくなるんだよね。(松岡修三のトレーニング方法については、とりあえず今の話の中では横に置かせておいて欲しいw)だから、選択肢なんてないんだよね。まぁ、どっちにしろキツイ練習から逃げられるわけじゃあないんだけどさ。
 
身体を動かす仕組み自体が常識として一般に理解されていないから、どう足掻いたって無駄なんだよね。フィジカルとメンタルの間には意識*1がある。身体なんか幾ら鍛えたって、意識が高まらなければ何の意味もない。努力の結晶として筋肉という名のデッドウェイトが増えたのでは洒落にならない。身体を鍛えることを通じて、意識を高める努力をし、意識が高まることによって身体能力が引き上げられるようになっている。
 
マンガ表現では「顔付きの変化」などでこの「意識のレベルアップ」を描写することがある。これは顔を構成する要素が意識によって高度に運用された結果なわけだ。同じパターンとしては、恋愛が上手く行ってて幸せな女性がキレイになって見える仕組みとかね。だから、事象そのものは既に捉えられてはいるんだよね。
本来の意味の普遍性、つまり「ありふれたもの」としての「意識」が答えなのだということがどうしても認識されてこなかったわけで。たとえばメンタルトレーニングと名のつくものの大半は「あがり症の克服」に毛が生えたレベルでちまちまやっていたりする。
 
いや、あまりおおっぴらに批判すると「じゃあ自分でやれよ!」とか怒られるんだけどさ(笑)だから批判者としては上手に無責任でいられる範囲を守る必要があるのだけど。あまり上手に批判できてしまうと、相手がいちゃもんに我慢できなくなってしまうかもしれないし。(この場合の「相手」が一体誰なのか?は常に問題ではある)
 
実際にはどうかというと、意識は測定方法がわからないから、証拠能力に乏しい(笑) 細かい突っ込みに長けた自称「科学的な視点の持ち主」達の、「ミスはひとちゅもゆるちまちぇん!」という窮屈な攻撃にさらされている分野というのがあるわけで。オマケにすべてが科学の測定・評価でしか語りえない風潮が許せない人々の、いわゆる疑似科学(思いっきり嘘のやつ)に“騙されることを望んでいる”傾向とごっちゃになってしまうと、これまた痛々しいことになるわけで。
……終いには、内容的に良いことを言ってたとしても、デジタルに「○か×か?」で評価されて、×扱いされたりするからね。中間の評価は一切なし。議論好きは敵を探していて、自分が賢いことを証明するために生きている連中なので、こちらとしては構ってもらえない環境を構築すること(だから無責任でいられる範囲のこと)が大事になってしまう。ねじ伏せて勝利に酔いしれるのもたまには楽しいんだけど(笑)←同じ穴のなんとやら
 
この意識の件は、自分探しともかかわってくるのだけど、「主体意識の限界」が問題の本質としてゴロンちょしているのね。「現在の自分(←主体意識・自己)ではどうがんばっても無理!」という直感と、「がんばってもみないで何を言ってんだ!」もしくは「俺はやれば出来る子!」ってのが対立するんだろう……たぶん(笑)
 
確かに、単にがんばり方を知らないだけだ!みたいな話はあるだろうから、スーパー教師やらサポーターに巡り会う物語が存在するわけだよ。しかし「主体意識の限界」も実際の問題として存在するので、個人的には「無の追求」の方に話が行って欲しいと思っている。人間存在からすると主体意識(自己)は一部分に過ぎないので、より総体的な自分というものに統合された方がよいことになる。ベイビーステップだと岩瀬編で似たようなことに触れられていたのだけど…………とかね。
 
だいぶ飽きて来たな。
書きたい衝動を発散する効果はあったらしい。ついでに残骸もさらしちまうか。
 
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主人公ってのは感情移入の装置なわけで、駄目なキャラが凄くなる過程に物語があったりする。
 
努力して、凄くなる

才能があって、凄くなる・ロボットに乗れるようになったりする

変身能力で、凄くなる

外部化する(願望達成装置やスーパーキャラにお任せ)

? 
 
「はじめの一歩」のように、努力して凄くなっていく過程をとる作品がある。嘘みたいな上達だったとしても、リアル度は高いよね。
 
ここから努力の程度を低くしていくと、ガンダムのようにロボットに乗ることや、ニュータイプみたいな才能に頼っていくことでさほど努力しないでもヒーロー化できる物語というのを位置づけることが出来る。しかし、まだこの時点では「選ばれた存在」という条件が強かったりするわけだ。
 
もう少し進んでくると、巻き込まれ型の物語のように突然に超強力な「変身能力」を手に入れるような展開によってお手軽・楽チンにヒーローになれるようになっていく。
 
変身すら必要がないという意味では、願望達成装置(デスノートのようなスーパーアイテムとか)のようなバリエーションがあり、さらにそこから先へ行くと、自分が凄くなくても凄い奴と一緒に居られればいいや!の方向が見えてくる。ヒーローキャラを脇に配置するわけだ。
 
(この辺りの順番は議論の余地もある。たとえばロボットのような要素は、主人公を引き立てる要素とここでは考えている。これが「鉄のラインバレル」のように願望達成装置としての意味合いが増して行くと、より外部化の方向で定義されるべきと言える)
 
たとえば、
「フェイト/ステイナイト」ぐらいだと、セイバーがヒロイン兼ヒーローキャラとして登場する。最初の内はへたれだった主人公が段々と役に立つようになっていくと、ヒーローとしての機能が主人公に移動していって、セイバーにはヒロインとしての役割だけが残る形になる、とかね。その意味では、外部化されている時点から始まって、努力やらでヒーローとしての機能を取得・回復していく形をとっているとも言える。
 
涼宮ハルヒの憂鬱」では、能力的に凄いのはハルヒ長門だったりした。主人公は無力なままその存在が維持される。しかし物語はおけるキョンの魅力によって牽引していく要素が大きかった。
 
バンブーブレード」では、川添珠姫(たまちゃん)を「上手く使って」何とかしようと企む形をとっていた。登場キャラによるキャラ認識→「操作」の方向なら「げんしけん」のイメージも強いね。登場人物が剣道部の部員と顧問であることから、物語に「一緒に参加する形式」をとっている。
 
かんなぎ」まで来ると、物語の中で面白いのは神様(ナギ)とかで、主人公は一切の責任から解放されている。主人公が面白い必要すらなくなったわけだ。
(最近のラカン主導の「ネギま!」もネギが面白い必要はなかったりする)
 
「ああっ 女神さまっ」も「かんなぎ」に近い位置に属するのかもしれないけれど、ヒーローとしての機能がベルダンディーに求められていないわけで。すべてをきっちりと分類しようとするのはデジタルの意識が強くなってしまう。
 
 
とまぁ、このように物語に参加する資格が低くなって来ている。より多くの人に感情移入させる主人公を追求した結果なのかもしれない。これは別段、年表的な歴史順序のつもりはない*2のだけれど、物語のバリエーションやスタイルとして能力の外部化で切ったらこういう風に分類・表現できるって話なわけだ。
 
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とまぁ、どう話を続ける気だったんだろう?と思わずにいられない。ふ、筆が走ったんだもんっ!(キーボードだけど)
 
単一ヒーローの時代から、チームバトル編成になってきて、今回のネギま!(233時間目)みたいに「みんなの力で勝利!」っいう民主主義っぽいものになっていくのかも。
 
さぁ、神のみとどう繋がってくるのでしょう?(笑)
 

*1:語感をあわせるならコンシャス(-ネス)だけど、この英単語にしてニュアンスがあっているかどうかがわかんない(笑)

*2:ドラえもん」や「鉄腕アトム」はどこに入る?とか考えれば無理に順序付けない方が安全だろうしね。