あっちこっちをふらふらと


日々のもろもろ


どうも最新話はゆーなメインのようですね
プロポーズ大作戦(テレビ)
今期ドラマは月9の「プロポーズ大作戦」がお気に入り。バンビーノは次点。
プロポーズ〜は、一話毎に過去に戻る形式。「戻りっぱなし」だと思っていたのでこれは意外だった。
妖精役で出ている三上博史が好きだったんだ。すっげー昔のドラマで「小さくまとまってんじゃねーぞ!」というキメ台詞のヤツとか。「チャンス!」(93年)かな。思えば遠くへ来たものだ or 何もかも みな なつかしい……といったところだろうか。
この「制限付きで過去に戻れる」系はネギまでもやってたけど、個人的には海外テレビドラマの「トゥルーコーリング」が好き。
プロポーズ大作戦のラストを予想すると、藤木直人の演じる教師のまだ出てこない幼馴染がウェディングドレスを着て座っている(長澤まさみの演じる吉田礼と入れ替わる)山Pの隣に吉田礼が立っている。結婚式が終わった後、山Pがプロポーズしてエンド……といったところか。さて、どうなるか楽しみだ。


セクシーボイスアンドロボを読む(マンガ)
もの凄く褒められていたので期待して1巻を購入するも、外れる。(え〜?)
テレビドラマの方は酷いと評判なので、見られるときだけ見ようかなとか思う。
とりあえず手の抜き方が巧いなぁ、と。形が崩れていないのは当然のこと、この「わざと手を抜いてます」という記号は、それを見抜けるオタクの批判を回避する最良の策ではないかな、とか思ったり。いや逆にこういう風に書くのは大変なのかもしれないけど、見ている側がそんなところまで気を回す必要はないから、やっぱり仕上げで手を抜くための工夫なのだろうと判断する。(メタ認知の罠?)でもまぁそういうのは他の黒田硫黄作品を確認しないと、ピカソの絵に関する素人の批判みたいなことになるわけで。わたしゃネギま!が好きだよ。
シナリオの方は好きな人は凄く好きだと思う。1話2話のアザトさが透けて見えるけどな


すももももももを読む(マンガ)
なぜ、今頃?と一番思っているのはたぶん本人。山田玲司なみのデフォルメを久々に堪能した。ミジンコクラスに崩れてやがる。
しかし……もう5年か10年前の「女性を口説く根性のない大きなお友達のための作品」みたいなオタクを批判するための文脈が脳裏をよぎる。もしくはギャルゲー以降女性キャラの増加が導き出した「男性主人公のヒロイン化現象」の極致かも。
一話目からセックスしてくれと迫る女性メインキャラ(攻略終了〜♪)それを断る男性メインキャラ(攻略開始♪)
ユリア100式とかね……もう、ただひたすら楽しめばいいじゃん、と。
女性からの性絡みの要求というか口説きって、機能的に見て面白いのだけど、ブサイクにしてしまうとヤンマガ辺りがやりそうな品のないギャグになるわけで。そんな報われない支配欲?みたいなまとめはともかく、すももも〜は素直に楽しめる良質の作品だと思う。
委員長の早苗が「普通の子→変態」に変わる流れとか、お約束通り。しかもアニメを確認したら早苗役が平野綾だったりして美味しい役をやっているなぁ、と。


●唐突に萌えキャラ論をかましてみるテスト
個人的に現時点での「究極の萌えキャラは朝比奈みくるかも?説」を採用している。別に朝比奈さんである必要はなくて、朝比奈みくる的キャラであればいい。
通常、ヒロインは動きの激しい動的なキャラか、動きの少ない静的なキャラがヒロインになる。
静的なキャラは引込み思案・出不精といった属性だったのが、エヴァ綾波によってその限界値が大きく引き上げられ、「無表情・無感情」にまで広がった。
動的なキャラの方は、ゲーム・ガンパレードマーチの芝村一族の芝村舞、小説・星界シリーズのアーヴの姫ラフィールによってほぼ同時期に“日本風のお姫様”が萌え文脈の中に統合され、結果的に「ツンデレ」と命名されるに至った、と思う。
 小説・涼宮ハルヒシリーズでは、動的キャラとしてツンデレハルヒが、静的キャラとして無感情の長門が採用されていて、そこに萌えキャラというミもフタもないキャラとして朝比奈みくるが出てくる。
これは0・1で二進数だったものが、−1・0・1の三進数に進化したのではなかろうか?
その時に、朝比奈みくるというキャラはゼロ、つまり「普通」を冠するとりあえずの代表なのではないか?という仮説を立ててみるのだ。
単に朝比奈みくるがツボなんだろ?という批判は受け付けない。まぁその通りだけどねー。アイゆえに……
 日本のマンガ・アニメ文化は容易にファンタジー化というか非日常化する。そこでは、ファンタジックだったりSF的だったりミステリちっくな現象が起こるし、分かりやすい悪が存在したりして、非日常的設定を持つキャラクターが活躍する場が与えられたりする。バトルとか。
すももも〜を見ると、明らかに初期の委員長こと中慈馬早苗は「日常」を代表するキャラクターであり、非日常に文字通りに疲れた主人公が、日常=早苗の中に癒しを見つける描写がある。


つまり、時代は癒しを日常の中に見出そうとしているわけさ!


楽園・癒し・日常……といった連想が正しいとした時、普通なキャラこそが究極の萌えキャラ*1になる…………かも?
まぁコジツケなので本気にしないで頂きたい。何が普通か?という定義が怪しいのがこの話の致命的な弱点だったりするし、萌え的な普通なんてのがリアルにおける最高のファンタジーだったりして(笑)


●ラブコメ境界論(?)
上のことをつらつら考えている中で思い付いたバカな話なのだけども、
動的なキャラとくっ付くのはラブコメ
静的なキャラとくっ付くのは純愛やらラブストーリーと分類されるのかも?


いちご100%」で東城とは結ばれずに西野とくっ付いたのは、純愛路線だったものが、ラブコメ描写によってラブコメ化した結果*2なのかもしれない、とか。
例外は沢山あるんだろうけども、現在ジャンプでやってる「To LOVEる*3なんかの場合、ヒロイン・ララとくっ付くのは疑いようもない。
じゃあなんで疑わないの?という話である。
これは、いわゆるひとつの「うる星やつら」という強大無比の呪縛だろうか?などを思う。


あだち充のみゆきはみゆきとくっついたし(どっちだ)
うる星やつらはヒロイン二択になってなかったので言うまでもないが、
一方できまぐれオレンジロードは鮎川だよね。
だけど電影少女は純愛だけど愛ちゃんだったなぁ(例外?)
ラブひなに代表されるような「メインヒロイン」が決まっていてのハーレムものはここでは論外だとしても、
いちご100%なんかはなんで西野とくっついたのだろう?という疑問が残る。


動的なキャラとくっ付くのはラブコメ、静的なキャラとくっ付くのは純愛やらラブストーリーと認識しているのではないだろうか?


逆に言えば、大人しい子とくっ付く恋愛を純愛と認識しているのはマンガの読み手側の認識の問題、悪しき訓練による慣習ではないだろうか?……まで飛躍してしまうわけですよ。
大人しい子との恋愛を純愛「的」と勘違いしてリアルで好みを決めたりは……してないと思うけど(自信ないなぁ)
大和撫子な「やかましい女子」をヒロインにするためには、メインヒロインというシステムを採用するのが正しい方法論なのかも。



らき☆すた(アニメ・マンガ)
「こなた」(青い子)と「かがみ」(ツンデレツインテール)のどっちに感情移入してみているか、でオタクレベル判定装置になっているのか?というくだらないことを思う。
圧倒的にかがみだと思うんだけど、マンガやアニメ、ラノベを読んでいたら端々でこなた側の視点になるはずで、基本的に「品の良い作品」(笑)とはいえない。
(友人と似たような会話をしたことがあると、みんな同じことを考えるよねぇ、と同時に、「愛だよ」とか言うのは止めようという自戒が発生したりするわけさ)
原作を読んで、ちょっとシマッタとか思ったり。OPで踊ってる子達は新入生なので作中の季節で来年にならないと出てこないのだが、現時点でまだ夏だったりする。


尚、当サイトでは山寛の監督交代に関しては、作中のサムデイインザレインでの長回しの責任を取って監督降板説を採用してます。次が賀東脚本らしいので、その辺も計算済みでしょう。(メタ説というらしい)



●神様のパズル(小説)
宇宙を作れるか?ということを中心としたミステリ調な話。
これは専門用語が分かっている方がより楽しめると思う。
全部を分かっていなくても読めるけど、読み飛ばしして大枠の筋だけ読んで満足できない人にはオススメできない。
たぶん、サイモン・シンの「ビックバン宇宙論」とか、グレッグイーガンの「万物理論」とかを読んでおくべきだったのだと思う。どっちも読んでいないけど、私はそこそこ楽しめた。



ガラスの仮面(マンガ・再読)
メタ階層の複雑さと、没頭←→覚醒*4に関してはこれがいい。
オタク理論がメタ化にばかり突き進む一方で、物語の面白さとは没頭性にこそあると思い出させてくれる逸品。
物語のダイナミズムというものは、ある意味で、覚醒への導き・没頭への誘導にこそあるのかもしれない。
少し話は変わるが、いわゆる「頭の良さ」といったものを描写する時に、作者の能力や現実そのものが限界を作ってしまうわけだけども、既に古典的な「驚きと解説」といった手法の中に答えを見たような気がした。
作中劇の「ジーナと5つの青いつぼ」中では、マヤが一人で劇をするシーンがある。一度読んでいると、結果はどうなるか既に分かっているのだが、饒舌すぎる解説陣が黙るシーンがある。
ただ黙らせただけで「場の緊迫」を表現しているわけだ。この間接表現と記憶の方向付けが素晴らしく良い。
それと、半端なリアリティなんてゴミだね。ご都合主義万歳です。


ネギまいいんちょと少女漫画におけるたぶん最強のキャラの一人である姫川亜弓の類似性について思いを馳せる。でも設定とかで応用できる部分はそう多くはなさそう、とも思う。
要するに、お嬢様でヒロインとライバル関係で、且つ、ヒロインの味方だと姫川亜弓的キャラになるということだと思う。ガラスの仮面は恋愛面での対立・対決を避けているのだが、ネギまいいんちょは今後ネギの取り合いを明日菜と演じるかどうかが見所になると思う。(そしていいんちょはその愛ゆえに取り合わないと思う)



・まぁ、予想は予想。 結果を楽しむための手段の一つであります。


*1:良くある話のような気もする

*2:まぁ単純に、西野の「懸垂告白返し」というエピソードの出来が良すぎたせいだと思ってはいるんだけど

*3:西連寺春菜の「普通さ」は上の項と関連

*4:メタ方向への覚醒を専門用語で異化効果と呼ぶらしい