日記(富の未来(上))

 
●「富の未来」(上)を読んだ。
 
とても辛い読書になった。
分析としてまっとうだし、何が起こっているのか?という部分に関してはオタク文脈のことも含めてかなりのことを説明できてしまうような気がした。マクロな動きというものを俯瞰する上では読んでおいて損はない。しかし、この本で描かれているものは解決策ではなかった。
 
時代の変化によって死んでしまう知識(死知識)の増加とか、金銭的活動の基盤を作る非金銭的活動(トフラーはこれを「生産消費」と呼ぶ)とか。
自分が何をやっているのかは分かる。でも直接お金にはなりそうもない。もっと言えば、生産消費活動にタダ乗りする金銭的活動の姿が明らかにされている。
 
考察を絡めると、
アフォーダンスやローマの帝国化なんかと近い現象が起きているようにも思う。言葉としては外部化になるのかもしれない。インターフェイスのような考え方がますます重要になるのだろう。
いわゆる工場的(効率的)生産方式だと、規格を統一してバリエーションを減らすことでコストダウンを図ろうとする。トフラーの示す第3の波というものは、例えば幹細胞による再生医療のように、同じものを極度に個別化して使う方向に示されているように思う。やることは幹細胞注射なんだけど、遺伝子の関係で完全に個人に特化されていくわけだ。別の例では燃料電池で動く超軽量の自動車が移動型の小型発電所となって、集中型発電から分散型発電へと移行する可能性も示されていた。(具体的にそれをどうやるのかはよく分からなかったけど(笑))
先日どっかでみたテレビだと、豆腐を作るときの「おから」が物凄い量の廃棄物なっているらしくて、これを小型プラントで燃料に変えることができるのだとか。
ローマで言えば、共和政が「元老院」のように権力(パワー)が集中している状態から、帝国政のように外部(ライン・ドナウ川のような防衛ライン)にパワーを与える形にも似ている。しかも外部との接触面ではケースバイケース(個別対応)だったのだからなんと言ってよいのやら?だ(笑)
 
 
下巻を読んだらまた書き書きしたい。
 
 

オーダーメイドっていうと、またもやザンヤルマの剣士ネタに走りたくなっちまったなぁ。
例えばブログの方向性を考えても、規模が小さいんだから個別応答するような軽さを売りにした方がいいのかもしれない。けども、多くの人に読まれないことで希少性を保っている部分もあるような気もする。全部を清書すれば商品としての価値は高くなるだろうけど、結局お金にする意思がなければ一緒なわけで。
生産消費に従事している自覚はあったけど、もう少し巧妙にやるべきなのかも。哲学的な「他者の意識を引き上げる作業」にはもう疲れたし、疲れたからここにいるわけで、もう少し政治的にありたいものだ。
そうすると、ここでの考察の目的や目標を明確にしないといけない。たぶん、私が戦っている敵とは、ちょっとした無知を引き起こす「気付かないこと」なのだろうけど、勝てるわけないしなぁ。