中二病でも恋がしたい!(アニメ)

 
  
中二病でも恋がしたい!
2期があるってんで、半ば予習のために見るだけのつもりでしたが、なるほど、素晴らしかったです。
 
「不可視の階級闘争」……マルクス主義批評的に言うと、「視聴者の視点ジャック」が最重要のポイントになるでしょう。京アニふつくしい映像で、たびたびシームレスに妄想劇に突入。しかし、本来、共有することができないハズの、「他人の妄想の世界」をアニメ映像としてみることのできる「特権階級」を同時に付与してしまうのです。ここがこの作品の全てと言っていいでしょう。
 
最終的な結論として、存在しないはずの不可視境界線をヒロイン六花が見るという構成になっていて、背景論的にド直球、ドストレートな到達点で終わることが成立しています。京アニが映像化するべき作品でしたので、幸せな結婚だったように思います。
ただ、視聴者に与えられている特権階級的な視点を、主人公とヒロインが共幻想的に得たところで終わるので、盛り上りは小さいかもですね。逆にまったく妄想バトルのない映像作品として作って、最後のトコロだけ共幻想の世界に浸れたら……と想像してみると、作品の潜在的な価値は上がっても、面白みは皆無だったでしょう。
 
アニメ作品だから可能になる表現の追及としても、分かり易い方向性をもっていて、たまこマーケットの難解さ(笑)に比べるとシンプルでこっちはこっちで良かったと思います。
 
視聴者に与えられた特権。その名を「邪王真眼」と読み替えれば、邪王真眼が最強だという意見で真っ直ぐになるでしょう。
 
 
中二病に関しては、漫画「悪の華」的な視点があってもいいと思うのですよね。悪ゆえの無駄な豊かさというか。
現実っていう視点は、作中で論じられているように、中二病という視点と同じ「視点」でしかなく、圧倒的多数が見ていると予想されることによって、辛うじてその存在を共有できているだけのモノでしかありません。脳は最初っから誤情報を山ほど得ていて、フィルターをかけることで日常や現実を維持している状態なのです。極限状態ではこのフィルター機能が低下することで、変なものを見てしまう。何が真実か、だなんてのは、それこそ現実視しかできない子供には分からない。世界の最前線に立たんとする意思があれば、妄想世界と同じかそれ以上のものが山ほど、それこそわんさか出てくるでしょう。むしろ出てきてもらっちゃ困るから、みんな現実という低俗な視点に閉じこもろうとして、必死になって自分の幻想を共有できない相手を排除しようとするわけですからね。それは弱さの持つ反応です。
 
関係に対する依存を考えると、父の死を受け入れられなかったのは、六花ではなく、姉や母の側だったと見るべきだと思います。その奇特な発言で心配される側としてあり続けたヒロイン六花は、家族を支え続けていたのかもしれません。父親の死によってバラバラに崩れて壊れそうな家族をまとめていた風にも読めると思うのです。姉・母ともに弱い人間で、特に姉の弱さが主人公勇太に影響していく流れが強かったのです、が、どうやら姉はアニメのオリキャラだったもよう。
 
 
まぁ、二期でなにをやるつもりなのか、ニヤニヤしながら見ようかと思います。