雑記(東京五輪汚職事件)

先に書いておくんですけど、不真面目な考察記事です。何回か出そうか迷った関係で、今頃ですね。
 
  
東京五輪汚職事件をどう考えるべきか?
元々スポーツやってたこともあり、オリンピックほどではないにしても大会とかも出てたので、そういう視点です。
 
スポーツ大会で大事なことって大きく二つあって、「スポーツ大会を継続的に開催すること」と「クリーンルームを守ること」なんですね。前者は分かりやすいと思うんで、後者の話ですが、こっちも内容としては簡単で、八百長しない・させないことぐらいの意味です。だいたいこの辺が大会の目的になります。
 
スポーツマン・アスリートにとって大会ってとても大切で、大会がなきゃどうにもならないんですね。だから開催してもらうのがとても大切なわけです。それには当然にお金が掛かります。現実としてお金の話は避けられません。キレイもキタナイもなく、まずは金です。スポンサーってありがたい存在なわけですよ。だからこそ、スポンサー様にはできるだけ儲かって頂きたい。そして次回の大会もよろしくお願いします!と思っているわけだし、まともな脳みそやらインテルやらが入ってる選手であれば、スポンサーに対する感謝の気持ちがあるものなのです。
 
そうしたお金の話の一方、選手たちはクリーンルームに隔離されてなきゃならないわけです。スポンサーの意向だの威光だのに影響されることなく、フェアにプレイできる環境が整っていなければなりません。現実には金・金・金なのに、選手たちはクリーンルームの中でパフォーマンスを発揮する。それがスポーツ大会という構図・図式なわけです。
 
しっかりと守られている関係で、金の話を忘れちゃう選手もいるんでしょうけど、大会運営には、人を動かすには、当たり前に金がかかるんです。選手が自分たちで金を出して、自分たちで運営して、自分たちが出場して~とかやってられません。金です、金。東京五輪でもボランティアでなんとかしようみたいな話があって、本当にクズだなって思ってました。人を使ったら金を出せっつの。当たり前だろうがよ。
 
 
五輪汚職の話がなんかピンボケなのは、「目的に抵触していない」ということと内側と外側の「二重構造」になっていることが理由ですね。贈収賄しようが、クリーンルームを破壊していないので、大会運営の目的には抵触していない。だから、善だの悪だの言いにくいのです。内側にクリーンルームを抱え込む二重構造が原因です。贈収賄クリーンルームの「外側の事件」だからですね。
 
これが八百長を指示したりだと炎上確定ですね。正しいとか間違っているとかを人が感じるかどうかってのは、目的に対してどうか?みたいな部分が意外と影響しているからですね。クリームルームを作らなきゃならないのに、スポンサーが八百長を指示していた場合は絶対に許されません。市中引き回しの上、磔、獄門、さらし首、一族郎党皆殺しの刑が相応しい、となります。
 
なので、スポーツマン視点だと、クリーンルームに隔離して守ってもらってるのに、外の世界の出来事に文句を言うのは違うでしょ?ってなるんですね。なんならスポンサー様には上手に儲けていたたきたいのに、なんかやっちゃいましたかね?って。さすがにアナーキズムでもなければ、反社会勢力でもないので、ひらがなもしくはカタカナになるでしょ。「わるいことはいけないとおもいます」or「ワルイコトハイケナイトオモイマス」ってね。
 
 
東京五輪汚職事件の本質とは?
そんでもって本質の話もしておくんですけども、これは公安が動いていることから見ても明らかで、政治家の汚職、贈収賄が本質です。オリンピックもスポーツマンも関係ありません。イベントの中身とは関係なく、お金が動くデキゴトだからってだけですね。
なんらかの規制があって、権力者に賄賂を支払うと便宜を図ってもらえる場合がある。特別な待遇のおかげで儲かる。……これだと単に儲けたくて金を出したヤツが悪いってなりそうですけど、この関係を放置すると、権力者側が当然に「おい、金をもってこいよ?」と要求するようになります。だから潰さなきゃいけないわけです。
ここから先はより具体的な、組織委員会とかスポンサー選定の仕組みとかの細かい話になって行くので、そういうのは詳しい人でやってもろうて。
 
終わります。