夕映の死

 
さて、いつものように思い付きを無責任な言葉にのせて。
 
面倒なので結論から述べるとですね、
哲学者としての夕映は死んで、スーパーゆえゆえ爆誕
……だといいなぁ、という話です。 以上。
 
まず、夕映には助言者としての要素と、囚われの姫様の要素があると思うのです。
で、助言者ってのは基本的に助言はしてくれるけど直接助けてくれることは稀なんですよね。夕映の場合、助言者として、哲学少女の部分が(一部にしろ)分ちがたく存在しているのですが、実力がないから助けようとしても助けられないという事情が(今までは)あったわけです。しかし、魔法という具体的なパワーを得つつある。
 
私の個人的なイメージですが、哲学って人間(個人)を救わないんですよね。役に立たないという意味よりも、対象が違うという感じで、もっと抽象度が高いというか。それに対して夕映が手に入れつつある魔法というのは、具体的なパワーそのものです。
具体的な力ってのはある部分では強力で、誰かを救う場合すらある。しかし誰かを救うということは、誰かを救わないということをも意味しています。政治の方は誰を救うかを選ぶイメージがあるんですけど、哲学はそういうものを扱う分野ではないと思えるのです。
  
 
現状を考えてみると、
 
ネギ
抽象:「みんなを守れる強さが欲しい」
具体:「フェイトを倒したい」
 
夕映
抽象:「(ネギのような)立派な魔法使いになるです」
具体:「 ? 」
 
……ということで、夕映は力を得たとして何に使うつもりなのか?って部分が抜けている状態です。
誰かを助けるために力を使えばいいじゃないか?という風に私なら思うんですけど、夕映はそもそも誰かを助けるために強くなろうとしているわけではないんじゃないかと。
 
 
もう一つ、夕映には囚われのお姫様的要素があります。
私個人の萌えポイント(真の協力者)という切り口で考えると、夕映は救援を待つ側の住人なのです。努力することによって「助ける価値の高い存在」になるような戦略で動いています。古来からの囚われのお姫様ってのは美人だったり権力を手に入れる象徴だったりしたわけですが、夕映は「努力するお姫様」というスタイルにみえる。“全ては選ばれるために”……夕映をゲットするということは、ゴールした後の「報酬」を手にするという意味があるのではないでしょうか。
 
というわけで、努力しているのだってある意味ではネギに選ばれるためなんですけど、「待ち戦法」の人間に、魔法とかいう「力」が手に入っちゃったという食い合わせの悪いことになりつつある気がするのです。
 
すると、誰かが夕映に、(この役割は是非ともコタローがいいんですけど)
「お前の力は何のためにあるんだよ?」的なことを言っちゃった場合にどうなるのでしょう?
まさか夕映としても「ネギ先生に振り向いてもらうためです」とは言えますまい。
 
すると、「差し伸べられた手を掴む」側から、「手を差し伸べる」側にクラスチェンジする圧力が出てくることになります。この場合、哲学者としての夕映の機能は死ぬことにならないだろうか?という話をしたかったわけです。
 
 
勿論、尊敬するお爺様とかを絡めて、思い入れたっぷりに哲学者としての自分を捨てるシーンを入れたり出来ます。その後は当然、スーパーゆえゆえ爆誕でしょう!……なーんて思ったわけで。
夕映は待ち戦法を捨てたら一気に強キャラに大変身します。念のために書けば、魔法使いとしてレベルアップするとかって話ではありません。なんというか、待ちキャラでいる間はあんまり怖くないんです。だって、あんだけ努力する人間が待ってるだけだと分かったら、ちっとも怖くないじゃないですか。
 
まぁ、夕映の死とかスーパーゆえゆえ爆誕とかってフレーズを使いたかっただけかもしれませんけどね。
ともかく、スーパーゆえゆえの類型がぱっと思い付かないんですけど、明日菜や千雨とかぶらない辺りを考えると……デレる前の芝村舞とか?でもそこまで遠くていいんだったら、明日菜がナウシカになっちゃうな(笑)
 
 
 
(予想としてこの記事の内容が的中する可能性は0%です。あしからず)