独り言(ガタガタ言う前に、努力しやがれ)

 
  
「人の話を聞くこと」には何の価値も無い。これは単なる常識だと思う。
 
単に情報を入力して、事情を把握したからなんだってんだ。
人の話を聞いて、相手の気持ちを想像出来なきゃ話を聞いたことになんかならない。しかも、相手の気持ちになって考えただけではダメで、「自分の行動を変えられない」のであれば、単に世の中の理不尽さに嘆くだけで結果が変わらない。
 
更に、人の話を聞いたからって「簡単に自分の行動を変えてはいけない」という地点までは常識の範囲だろう。相手の気持ちも分かるけど、だからって自分の行動を変えていいかどうかとは関係がない。変えても良いことというのは、大抵「どうでもいいこと」だけだ。しかし何であれ、何かを変えるのにはちょっとした面倒が掛かる*1
 
有能であるということは、そのちょっとした手間を惜しまずに人の役に立とうとすることを含む。含む。(大事だから二回書いた。含むのであって、それが全てではない。)
 
 
そのもっと先には、全体を見定めて、じゃあ、一体どうすればいいのか?という話にまで波及する。自分達で変えられる範囲はどこまでなのか?何が問題になっているのか?を調べて、変えようとすることに発展していく。
 
多くの場合、「そこまでしてくれなくていいよ」と相手がこっちの負担を心配してくれたりするものだ。やっていればわかるし、やってみればわかる。話だけ聞いて、同じ気持ちになってくれたからもういいよ、といってくる。現実の壁が高くていつも何も変わらなかったという結果に慣れて諦めてしまっているのであって、話を聞いてあげるだけでよかったのだ!という結論にはならない。(実はこれで「相手の求めている経験は何か?」というレベルの問題を無視することもある。)
 
最後に、現実の壁を越えて、実際に何かが変化するところにまで行く。
それは、誰かの目にはどうでもいいことが変わっただけかもしれない。というか、多分、多くの場合はそうなのだと思う。
人の命まで含めて、本当に大切なことなんてあまり無い。本当に大切なら変わないといけないのに、そうならないのならば、本当に大切ではなかったということになる。
もしくは、本当に大切だからこそ、変わらなかったのかもしれない。
 
 
人の話を聞かない

人の話を聞く

相手の気持ちを想像する

自分の行動を変える

自分の行動を変えないでいられる(本当の問題を認識する)

問題部分を変えようとする/自分達の対応で変えるべき点を見出す

変えようとチャレンジする

何かが変わる

それが正しかったのか観察する

微調整する

必要な部分を繰り返す
 
 
だから、人の話を聞くことになんか、何の価値もないんだよ。
ことの始めから「私の気持ちを想像して欲しい」とでも言えばいい。そしてその責任として、自分の気持ちを正直に伝えるべきなのだ*2。表面的な情報とウソ混じりの評価とかのテキトーなことを話しておいて、理解してくれなかった相手が悪い!だとか言うのは気が狂っている。それでも「何かを話した時点でかなりマシ」な状態だってんだから、どうかしてる。(そこに人間関係の機微があるという結論は、あまりにもマゾい)
結論は大抵、人類はニュータイプにならなきゃいけない、となる。だから、今すぐ愚民どもに叡智を(略)
 
分からないのなら分からないなりに、分かろうと努力しているんだってことを、実は分かろうとしていることがあって、そこを分からないとダメなのだ……と理解すべき。
 
 
世の中には「難易度」というものがあって、「人の話を聞けない」場合もある。ひたすら忙しくって死にそうなのに、どーでもいいことを話しかけられると殺したくなるものだ。そんなのどうだっていいだろ?と叫びたくなる瞬間はどうしようもなくあるもんなのだ。
 
もっと難易度を下げることを考えやがれ。
 
最低でも、話しても良い時を狙うべきだ。もしくは、自分にとって大事な話だってことをアピールするとか。
(例外は悪い報告の時だけ。悪い報告は最速が大前提)
 
相手の仕事を手伝うとかして、相手に時間を作ってもらうぐらいの準備をしたっていいじゃないか。相手の性格の善し悪しの問題として処理する前に、自分の性能の問題だって気付けってんだ。自分の話を一生懸命聞いてくれたら性格が良いとか…………そんなの幼稚な世界の住人だろうがよ。
 
世の中では、話なんてそう簡単に聞いてもらえるわけがないんだよ。「うるせー、どっか行け!」がデフォルトなんだよ。だから、面白おかしく喋ったりするか、ある程度価値がある風にものを言わなきゃいけないのだ。
 話を聞いてもらえるってのは、本来、そういう壁をクリアしてないといけないものだ。相手が興味を持つかどうかを計算して、相手との距離を考える。そのほかにもいろいろと工夫することがいっぱいあるんだよ。そういうのも無しで、単に相手の性格が悪いから自分の話が聞いてもらえないのだ……みたいなことを平気で言ってはいけないのだ。
 
オキラクに発言してもいいし、いくらでも実験すりゃいいけど、他人のせいにするなっての。
 
 
それと、自分でも難易度を下げる行動を取るべきだ。
どーでもいい時は、何の比喩でもなく、ゆっくり歩くことが大事だ。忙しい時は忙しそうに歩けば、話し掛けられずに済む/話しかけずに済む。
 
例えば、恋愛がしたいのであれば「話しかけてもOK」の時間を作るべきだ。「いつも忙しい」のは言い訳にはなっても自慢にはならない。(フリーの)女の子が話し掛けられるというお仕事をしないと、男の子が話しかけるというお仕事ができないじゃないか。
 
いつも「友人の壁」で自分をガードしているのに、いい人が居ないとか言うのは気が狂ってる。常に孤独でいろなんて言わないけど、1人で行動する時間はちゃんと毎日持つべきだし、それをランダムにするよりはパターンにした方がいいのは言うまでもないことだ。
 
絢爛舞踏クラスにもなれば、話し掛けたいそのタイミングに、その場所に来ている……ぐらいのスペックがあるものだ。勿論、偶然やら運命やらを味方にしなければそうなれやしないだろう。それが出来もしないのに、やろうともしないとはどういう了見か!
(これが無茶苦茶な発言と思うようであれば、毎日散歩するぐらいのことはしなきゃダメだろう。歩いてこい。)
 
 
ともかく、話しかけてもOKのサインを意識して出すべきなのだ。
折角1人でいても、携帯を弄ってたりしたらNGのサインとして受け取られるかもしれない。
 
いつも同じメンバーでメシを食っているのに、そのうち違うメンバーと飯を食うことになると思っていたら頭がオカシイ人だろう。
  
常識的な努力の結果は、大抵、常識的なものになるのだ。
いつもと同じ行動をしていて、普段とは違う結果になると期待するのは寝言か何かでしかない。その時している努力とは、いつもと同じ結果になるための努力だろう。
 
 
同じ努力をしていて、違う結果になったのであれば、「同じ努力ではなかった」と考えるべきだろう。すぐに才能の責任にするのを止めるべきだ。
 
普通に考えれは、質か量に違いがある。
他人の数倍の「量を」努力をしたか、数倍の「質で」努力をしたか、だ。人間には等しく1日に24時間が与えられている。だから、量の努力をするよりも質の努力をすることを考えるような仕組みに「なっている」んだ。
 
「努力は才能」とか「努力の才能」とか言う時に、継続性と量だけを問題視する奴は馬鹿か努力してないかのどっちかだろう。努力の難しい部分ってのは、「正しい努力をすること/無駄な努力をしないこと*3」と、「改善し続けること」にある。改善の繰り返しが継続していくから怖いのであって、ぼへーっとやってたら何にもならない。
 
でもまぁ量質転換というのがあって、一定回数を単純にこなしても一定のレベルに達すると言われてたりするけど。
 
 
だけどまぁ、努力しているつもりが無くても、気が付けば周囲のレベルが高いってのを経験したことがあれば、「努力しろ」とかいうのはナンセンスなんだけどさ。
 
努力しろとか言わなきゃいけないのは、こっちも努力不足ってことなんだよなぁ。
 
 
ああっ、マクロスのオープニングががが……
ぐはっ、シェリルの腹周りが太い……

*1:これを普段から繰り返していないと物事を変えた時の影響する範囲がわからなくなる

*2:大体、自分が分かって欲しいと思っている自分の感情を自分で理解しているのかだって怪しい

*3:無駄な努力を有効なそれに変換できる人間にはこのレベルの内容に用はないハズだ