雑記(リーマン・文禄・ギアス・京アニ)

 
・リーマンブラザーズが潰れたからって、どうなるのか分かんない(笑)と平気で書ける自分の正直さを褒めてやりたい。自分で計算できるようになるまでは断片情報を集めていくしかないわけで。
かんべえさんは山一證券が潰れたのと似ているって書いている。ファニーとフレディは住宅金融公社だから助けなければならないが、リーマンはウォール街で高給をとっている奴らであってまったく同情に値しない……っていうのが本当に世論なのかどうか(笑)という気分はあるけど、偉い人が言うことだからそうなのだろう(適当)
「欧州への飛び火」懸念と、「ハゲタカ」待望論という論理の次ぎ方が実に楽しい。
うーん、まったく自分の勉強が足りてないのを痛感する。
 
ホジュン(ドラマ)をみながら、朝鮮出兵文禄・慶長の役)について考える。先日読んだ某サイトで漢陽(現在のソウル)の写真が出ていたのが色々な意味で面白かったのだけど、要するに、貧乏な国に攻め込んだのがそもそもの間違いだったようだ。
豊かな国ならその分、軍隊がしっかりしていて強いのかもしれない。その意味では貧乏な国ならば簡単に攻め落とせるのではないか?という考え方も分かるのだが、しかし、攻め取ることによる旨味があんまりにも無かったようで、冊封に基づく明(当時の中国)からの救援を求めたわけだけど、それで明の財政が傾いたというぐらいだから推して知るべし、だ。攻める場合、豊かな国を攻めないといけないということだね。(その意味では日本はまだまだヤバイわけだ。)
李舜臣が名前だけちょろっと出てきた。「必生即死・必死即生」を言った人らしいのだけど、作品の時期的に絡んで来るだろうと思って楽しみにしていたのだ。しかし、日本兵の挙動を見ていたらどうでも良くなった。虐殺済みの村を哨戒して民間人を見つけたら鉄砲で撃ってくるっていう。一体、何をやってんだ?というのと、まだ火縄銃だろ!勿体無いから撃つんじゃねぇ!みたいなツッコミがどうしても入ってしまう。
 
全般的に自分さえ良ければ後はどうでもいいという思考に満ち満ちていて、あの無闇な説得力が凄いと思わずにいられない。(主人公とその妻は貴重な例外という扱い)
 
何作かみてると「嘆きキャラ」で見たことのある人が出てくるようになる。「ああ、どうすればいいんだ!」って言ってウロウロする人なんだけど、いろいろ考えさせるところとかがあったりして味わい深い。人付き合いの優しさってなんだろう?だとか。
 
 
●今週のギアス
シュナイゼルの本心ってのが難しい。本気でペルソナを駆使しているのであれば、そもそも本心などというものは存在しないのかもしれない。行動の結果だけで判断するなら、首都ペンドラゴンにフレイヤを打ち込み、ナナリーを人質にし、コーネリアを排除し、黒の騎士団を手駒にし、フレイヤで各国の首都を破壊しようと目論んでいる。まぁ、極端な思想の持ち主と言える。フレイヤによる排除が成功したら、他者による支配の構造が弱体化し、小さな政府を実現し易い状況になるのかもしれない。
 
結局のところ、ラグナレクの接続の話で、ルルーシュはギアスを捨てる覚悟が無かった。王位を継ぐ正統性を確保するために超常の力を使う彼を、どうしようもなくしらけた気分で見ていた。なんか色々とグダグダでジノの立場が作品の気分のような気がして楽しい。
フレイヤを止めるために命を捨てる英雄的な兵士達を見て、ギアスに掛かってて良かったね、と思う。彼らに死の恐怖は無いだろう。そりゃ人権とかを考えればいろいろと踏みにじっているとは思うけど、兵士であればギアスが無くても同じことをしなければならない。
 
途中で藤堂がギアスで戦う兵士を哀れむシーンがあるけど、ゼロを信じられずに自分の意思でシュナイゼルに従っているつもりの藤堂と、自分の意思とは無関係にギアスに支配されている兵士では、愚かである分だけ藤堂の方が憐れだ。ルルーシュが黒の騎士団に対してギアスを使わなかったことに対して、何も感じることもない。残り話数の展開がどうあろうと、其処に信頼の影を見抜くことは出来なかったと言える。結局、コードギアスという作品での日本人は愚かに描かれるばかりだった。……その皮肉を素直に受け止めたい。
 
 
●オリジナル以外は敗北!?
ペトロニウスさんのところを読んで。
……でも実際にゃ京アニってのはその「敗北の世界」から出てきたわけですよ。そして今も特別な位置にいる。これは「アニメ化」というのが時代の要請であり、潜在的に価値のあるアニメ化が出来ることが求められていたことが大きいのではないかと思われ。ハルヒ以前はラノベのアニメ化反対なんて声は根強いものがあったのですが、しばらくは京アニがアニメ化してくれないかな?が合言葉のように使われたりしたもんです。
 
まぁ、こんな話をしたところで、ネギま!のメディアミックス展開があまり恵まれていないと言われたら否定することは出来ませんが(笑)楽しむことが出来た人間が勝ち組みっす。
 
本当の問題は、京アニを無力化しなければならないということでしょうね。
涼宮ハルヒの憂鬱以降で大きく話題になった作品の大半(グレンラガンコードギアス、そこに電脳コイルを含めてもいい)ってのはオリジナル作品です。原作のある作品のアニメ化に偏っていたことで「ゆり戻し」ってことが言えるのかもしれないけれど、アニメ化では京アニには勝てないからオリジナルで勝負している……という見方だってできる。
アニメ化で成功した突破者が現れたのだから、本来なら分析しつくして京アニを無力化すべきところでしょう。
それがヤマカンの退社を手始めに、何人か辞めて言っていると聞きます。アニメ業界は横のつながりが強いとかで再就職は難しくないらしいんですが。これに対して、新ハルヒって大丈夫?だとか、制作進行が厳しすぎて辞めてんじゃないの?とか、801ちゃんも止めたしね……なんて意見もあるようだけれど(笑) 無力化の視点だと技術を持っている人間が散らばっていく方向に進んでいるのかも?なんて思ったり。
 
結局、アニメ化のようなものを否定するってことは、極端な話として考えれば、現実の模倣に類する全てを否定しかねないと思うところです。写真があるのに、絵を描く必要なんかないってのは果たして正しい認識なのでしょうか?とかね。
 
確かに、ストーリーと粗筋が物語の全てであったとしたなら、原作に忠実なアニメ化なんかに意義を見出すのは不可能ですけどねぇ(苦笑) エンタメで高度な能力を消費者に求めての正当化なんて下策だし。
谷口監督も、「お前は分かっていない」に負けるな たいなことを言っていたりする。やはりどっかで「アニメの正しい見方」みたいな概念を繰り出していかないと、「粗筋だけ分かればいい」と思っている人の感情を動かすことは出来なかったりします。
似たような議論で、youtubeニコニコ動画でアニメを見ることを防ぐって話がちっと昔にあって、youtubeの画質が悪い状態で観て、面白かったら買えばいい……なんて意見があったわけですが、大半の作品は買いたいなんて思わないから、粗筋だけ分かればよかったりする(笑) それに「コアユーザーなら買うだろう」みたいな意見まであったりして、コアユーザーは金持ちでライトユーザーは貧乏なんかーい!(ルネッサーンス!)とかね。言うよね〜。
 
だから快感原則って方向が大事になっていて、動物的だろうとなんだろうと「うわっ、オモシロ!」っと思わせたら勝ち。どっかで「粗筋」を超えることが要求されているのですね。「だから、世界に人の心の光を見せなきゃならないんだろ!」という結論に至る、と*1
 
後は、表現するということに於いては「適切なメディアを選ぶべきだ」という意見もあるので、マンガに向いた題材はマンガで表現すべきであって、アニメ化する意味はない……ってことも言えるかもしれない。マクロスFは歌のパートがあることで、分かり易くアニメ向きの題材なのかもしれない、だとか。
 
 
結局、「作る人に拠るでしょ」っていう曖昧な結論にしかならないのかもしれないんですがね。個人的にはノイタミナ枠が頑張っていると思ってたり(もやしもんとか図書館戦争とか) NHKだけど精霊の守人だって素晴らしかった。ごく個人的には、アニメ化ってのをそんなに悪いことだとも思えなかったりします。
京アニの無力化が進むことで、オリジナル作品のレベルも上がって行く様な相乗効果に期待したい。……とか綺麗めに締めたところで終わるのが得策な様です。
 

*1:逆シャアのネタです→人の心の光