雑記(鼻毛、ハイコンセプト)

 
●飛ばしてる場合じゃない
GIGAZINEフェラーリをベースにした空飛ぶスーパーカー
http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20081103_autovolantor/
 
日本は車飛ばしてる場合じゃないと思うんだよね。やはり採算を度外視して人型ロボットを作らないと。
 
 
●ギャッツビー キムタク
ググる。やはり合成だそうで。
>10月1日発売「月刊広告批評330号」の17ページにDavid "Elsewhere" Bernalの
>ダンスにキムタクの顔を合成していると出ています。

  
正直言うと、キムタクが練習してあそこまでグニャグニャに踊れるようになっていて欲しかった。合成の是非はともかく、David "Elsewhere" Bernalのことを知らないのはもったいないと思う。
 
●鼻毛ボー
へんな歌を歌ってる子がテレビに出てて、鼻毛ボーとか耳毛ボーとか歌っていた。まつげボーまで来たならヨダレに逃げないであらゆる毛を追求していただきたかった。ここで問題となるのはやはりアソコの毛のことだろう。チン毛ボーにするべきか、女性歌手だしマン毛ボーにするべきか?という辺りに葛藤を見出すことができる。(いや、陰毛ボーだろ)ともかく、その他にも脛毛ボーとか指毛ボーとか、ケツ毛ボーときて、オチはギャラン・ドゥーとかね。(しかしCDを買って続きを確認する気はしない)
へそ毛の正式名称なんてあるんだろうか? ……検索してみた。ギャランドゥの小ネタを仕入れたけど、書かないでおこう(笑)ネットは怪文書だらけで裏をとれないからね♪
 
バクマン
マイナーメジャー(?)ジャンプのバクマンがなんとも微妙。厳密な話にシフトしてきた。赤松先生の日記でも読んでいるんだろうか?それともマンガ編集的にはあの辺りが共通認識? …………だけど、10人で2人ってのはネットで惜しまれつつ打ち切られる作品傾向の気がして仕方がない(笑)ダブルアーツとか、P2みたいな。でも1/5だから、ワンピ・ナルト・鰤・アイシ・リボーンあたりを1つ崩すことになるんだろうけど。
 後は、運とかの話がでてこないとね。富樫モデルのキャラが出てきて、サイコー達の連載時期と、富樫の連載再開時期とが重なって大ピンチ!とかって話が出てこないと才能とちょっとした努力でなんとか勝ちました!って話になりそう。なんだかんだいっても、話の路線的に納得感を作るために才能があるんだよね。友情・才能・努力・勝利だよなぁ。
 
青春少年マガジン
酒とかタバコとか、缶コーヒーとかがさぁ。努力や才能は当然のことながら、ベースになっているのは体力って話なわけで。というか、頑健ってのは才能や努力の上にくる上位能力扱いかもしれない。
 
バクマンをみても、才能と体力のことで若年化の傾向があるのかもしれないね。時代考証とか設定考証みたいなのはサポートすればいいんだろうし。(まぁ、なげっぱの編集も沢山いるって言われているけど)
 
 
●ハイ・コンセプト(ダニエル・ピンク著、訳:大前研一
図書館でウロついてて大前研一が訳していたのでおろ?(剣心)と思って手に取る。読みかけ。
 
簡単に言うと、代行されないことをやれ!みたいな本。
古代ギリシャの格言で、「キツネは多くのことを知っているが、ハリネズミは大きなことをひとつだけ知っている」……とかいうらしくて、右脳はハリネズミだね、みたいな話とか。左脳の分析に対して、日本人は統合が弱くない?ってイメージがちょっとある。
 
教育論もいろいろあるんだろうけど、素人の浅はかさでえいやっと書いてしまうと、問題はテストの作り方にあると思うわけで。この本でアメリカの高校ではカンニング有りになって来ている、みたいなエピソードが紹介されているんだけど、日本で真似して一斉に携帯で調べ始めたらアクセスポイントがどうなっちゃうんだろ?とか思う。大学受験で数千人が一斉に携帯いじったりしたら回線重くて悲鳴と怒号の嵐になるんじゃないかと(笑)
 
やってみればわかると思うんだけど、検索には意外と時間が掛かる。情報の真偽のより分けとか。だから調べりゃいーや!見たいな態度で勉強というか準備しないでいたら結局は時間が足りなくなるハズなのだ。暗記の有利さは高速処理にあるわけだし、そこから逆算してテストを作る側の「哲学」に高速処理とか効率至上主義があること自体が問題になっている。問題数が現状で変わらない場合、暗記の有利さは変わらなくて、あまった時間で検索してド忘れとかのケアレスミスをカバーする形式が基本攻略になるだろう。
 
もうちょっとカンニング的にズルすることを考えると、テスト問題を携帯のカメラか何かでパシャっと写して、ネットの向こうにテストを代わりにやってくれる人を配置しておく、みたいな競争になるんじゃないかと(笑) お父さんが息子のために会社を休んで待機したりだとか、クラスで同じ問題が出ることを見越して、何世帯かで協力してテスト専用の傭兵を雇うとか(笑)
それでこれを人間じゃなくてAIが代用してくれるようになると、凄く便利なんだよね。グーグルを超える検索能力というか。それはもう知能に近いレベルのものになるだろうし。
 
そういう頭悪い競争もパラダイス鎖国的な発展に繋がるんじゃないかなーと思ったりするわけで。IT企業に勤める隠れた天才が、息子のためにテスト対策専用の特殊なプログラムを組む、とかのマンガみたいな話にならないかなぁ。 ……話が逸れた。
 
ともかく、
検索ありのテストってのは、問題数を少なくして、データを上手く検索したり、加工したりする能力を問うような問題でないといけないわけだ。その場合、採点基準ってのが難しくなる。答えが存在するような内容では意味がないからだ。結局、教師の趣味嗜好に左右されてしまう不平等な採点基準を日本では採用したがらないハズなのだ。だから公正な基準として答えが存在するテストからはみ出さない形で個性を作るように誘導することになる。こういう体質は中々変わらないだろう。
 
たとえば少子化で大学に入る人数が極端に少なくなった場合に、現在の学力方式で選別していたら人間が集まらないことになるだろうね。みんな東大とまではいわないけど、有名大学だけで事足りてしまう時代が来るかもしれないのだ。グローバル経済における「新しい時代の要請」というものを教育側は本気で考えないといけないし、そのためにはもう少し本気で危機感を皮膚で感じられるようになるまで、つまりもっと悪化するまで問題を寝かせておく必要がある。
 
たとえば社会人がもう一度会社に通いながら大学に通うような社会になるのも面白いかもしれない。勿論、勉強というスタイルでは人は集まらないだろうけど、それがもう少しイベント的なものだったら?と考えるのは悪くない。それもネットがあるから、動画で授業なんてのはスペースはいらなくなってしまうわけで、差別化を図る必要が出てくる。人が集まることに意味があるような何かがほしいわけで。……こういうのは、とっくに誰かが考えていることなんだろうけどねー。

教育においては、テストがボトルネックになっている。 
繰り返し書いていることだけど、評価方法が、能力の方向性を決めてしまうわけだ。
 
 
グローバル化によってナレッジエコノミーの時代になって行くにしても、ハイ・コンセプトで書かれている(と思われる)コンセプトによる突出した個人の拡大に方向が行くにしても、評価方法は吟味していかないとね。