そろそろねむたい雑記

 
青い花(アニメ)
帰宅してすぐ寝てしまい、もう朝か?と思ったらまだ深夜だった。何を言っているか分か(以下略) ネギま感想の処理中にテレビつきっぱでチラチラ見てたら、かなーり鎌倉背景アニメしてた。いい感じ。唯の中野人とか出てるし。それはいいとして、心理描写と背景描写のゆるーい関係がいい感じになりそう。でもストーリーを追いかけていないからレズ?よくわかんね。
 
ベイビーステップ
他人のせいにする、ということが実は有効に働きうるんだよね(笑) これは別にどうってこと無い様に思える人もいるとは思うのだけど、基本的に善人は他人のせいには「したがらない」もの。全部を自分のせいにして処理したいと思っている。他人のせいにするのは楽すぎる気がしたり、いろいろとあるよね。
 
先週の内容まで説明されていればもう簡単で、潜在意識とか深層心理とか(自我とか)では「運が悪い」ということを「自分のせい」にして処理したくないんだよね。本人はともかく、深層心理の話だから、他人・他者・他のもののせいにしてやると処理しやすいんだよ。つーか、どうしようも無く他人のせいってことは多いし、それを認めなくちゃいけなくなる。だからってソレで他人を責めたり攻撃したりするのは別件になってしまうし、勿論ダメなんだけどね。(あずける、という感覚の話なんだけど、まぁ、言葉による説明には限界があるから)
なんというか、神様の責任とかが分かり易いんだけど日本人は無神論だし、神様に責任を押し付けるのもどうなの?という議論に巻き込まれるのは面倒なのでそれはそれでいい面も多い気がしないでもない。もっと根本的なアンラッキーの処理ってのは簡単にはいかない話になっちゃうんだろうけど。
 
今回の場合は、ガットの歪みとか、靴紐とかなんだろうけど、それが原因ということで、一端、「他者(物)のせい」にしたんだよね。論理的に不明快な人はそのガットの歪みとか靴紐のゆるみに気が付かない「自分のせい」だ!という風に更に言い訳するものなんだけど、それは(日本語のルーズさもあって)ほとんど解決策に近いものになっているわけだ。(個人的に、厳密にはこれで自分のせいだと主張するのは不誠実な態度だと思っている。結局、一度ガットのせいにしているよね。それを認めたくないのは善人としてズルイんだよ。)共通しそうな話として「一度、他者のせいする」という要素を抜き出せる、とここでは言っているわけね。
 
コントロールを重視しているのに、勝負所でガットが歪んでいたらそりゃ運も悪くなるだろうし、コントロール・精度が高くなってきてれば同じところでボールを叩くだろうからガットが歪みやすくなるのかもしれない。そういうことに気が付かない自分の集中力の無さ(より正確には一点に集中しているから周辺に気が付かなくなっているわけで、意識の偏り、全体性の問題)なんかが問題になってくる。
 
こんな感じで「因果関係を作って」ジンクスのように処理をするのが一般的な処理方法になっている。作中では更にルーティーンとして説明されているね。えーちゃんの場合は自分に集中する効果が強めで、結果的に相手を忘れているような感じ。
 
……なんかノートといい、「一人でテニスやってる」よなぁ(笑) この辺をひろえると面白いかもね。
 
 
●神知る
まだパッとしない話なんだけど、背景処理は豪華?な感じ。……というか、ちゃんと読まないといけないかもしれないなぁ。