グラン・トリノ

 
まいった。良かったわ。まぁ、陳腐なんだけどね。それがわかってても、うーん、いい。クリント・イーストウッドは凄いよ。ネタ的にはミリオンダラー〜の方が俺は好きだけど、それとはちょっと違う映画なんだよなぁ。
 
つまんない分類をしてしまうけど、要するにベストキッドの逆バージョンなんだよね。アジアンな空手の師匠に白人のヒョロいのが空手ならって強くなるとベストキッド。逆にアジアのヒョロイのを年老いたダーティハリーだかマカロニウェスタンもしくはテスサスブロンコが鍛えてやるとグラン・トリノなわけだな。
 
普通のタイミングで観るダメかもだなぁ。俺、今日はちょっとベストタイミングかも。要するに、武士道なんだ。いやいや、事はそう簡単ではない。肺ガンか何かは知らないけど、リソースの有効活用の文脈でも一応は読める。老い先短い自分の人生を最大限に活用した ………… そんなの有り得ないけど。教会はどうだろう? 尊い自己犠牲の精神?そんな風に読めるようになっているのは、根本的な部分で武士道が分からないであろうアメリカ人向けの、表面的な意匠だ。
 
でもどうしても考えてしまう。アメリカ人よ、どうしてアジアンを放っておかないのだ?と。何故に、アメリカ人なんぞに武士道のなんたるかを学ばにゃならんのだ。歴史コンプレックスのアメリカ人には、深みがないという。少なくとも日本人はそう思いたがっている節があるし、激しい自己主張はそれを支える背骨の無さを浮き彫りにしているんじゃないかって話にもって行きたがるわな。
でも「日本辺境論」(内田樹)を読むと、そういう日本人こそがキョロキョロしてんじゃんって話だったりするんだけどね。正に激しい自己主張が出来ないのが日本だろ?みたいな(笑) 憧れの世界標準。自分ではどうしていいのか分からない日本人。書いてないけど、武士道が答えだって結論だと思う。でも武士道は空気の問題らしいので、今の時代にあった新しい武士道が必要なんだろうね。サラリーマンは兵隊なのか商人なのか曖昧になっちゃってるわけで、武士道と商道とを上手くミックスして今の時代に適した武士道へ緩やかに回帰しているべきなんだと思う。
 
グラントリノみたいな話って東洋との接点でしか出てこないものなのかも。誤解を恐れずに安直に書いてしまうんだけど、キリスト教は自殺を許さないのだから、倫理だの道徳だの中味に対して踏み込むには戦争っていう自国の歴史を持ってきて、自分の頭で考えましたってことにしないといけない。で、武士道的なものに最大限リスペクトしつつ、
 
 
「でも俺達にはグラン・トリノ(=アメ車)があるんだぜ!」って(笑)
 
 
いや、車ってカッコいいかも?って思っちったよ。だからこの映画は成功。
日本車って小利口でつまんないよね。行政も頭おかしいし。
 
 
それはともかくグラン・トリノはストーリーだけじゃなくて、見せ方もとても良かった。でもそっちは語るよたも観たほうが早いと思われ。オススメです。