雑記

 
いちばんうしろの大魔王
キタわぁ、神殺しを宣言するアクト。この作品って脚本のアウトラインがしっかりしてると思うのよね。物語(運命)を殺すために、神(秩序)を殺す。熱いねっ。
アニメは演出不足と端折りすぎがところどころ響いてるんだけど(苦笑)
 
白い制服の剣士 →神(システム)を支配するのにけいな(赤い髪)が必要
けいな(赤い髪)→神へのアクセスを可能にする存在。自同律。
神 →けいながいると支配されてしまうので殺害を命じる。
アクト(主人公)→けいなを守るべく神殺しを宣言して真の大魔王に
 
けいなは「殺される」か「利用される」かで二択しかないから、神を殺して運命を変える!って話。マッチョ化で第二形態になった校長は、大魔王倒したじゃん、また繰り返してる(=ループ)のはなんでじゃ?とか言っている。
 
戦争になっている理由は、
魔獣が暴れていたから照屋の娘(緑髪の抱きつき忍者)が戦争にしちゃった。
原作だと魔獣が暴れているのはアクトが真の大魔王になるのを拒否ってるからとか、父殺しをしちゃってる照屋が権力を掌握するために大魔王討伐でショーアップとかが背景にある。
 
普通に見たってこんなんわからないよ(苦笑)
 
 
●AB!
滝沢くんカッコイイ! じゃねーや、日向グッジョブなのでした。
語尾の「やんよ」は、これ「やんよ」じゃないと上から目線になっちゃうんだよね。だから「結婚してやるよ」ではダメで「結婚してやんよ」になってんよ。だいたい「フルボッコにしてやんよ」からして強がって見せているという文脈なわけで、そのぐらいは分かろうよって話やんよ。
まぁ、ユイが結婚を究極の価値にしている辺りは、テレビの影響なわけで(笑)、まるまる1話そういう話だって前提を無視して部分を攻撃するのは良くないんよ。
 
まぁ、AB!自体が微妙だって話は、その通りなんだけどさー。
イチャモンは勿体無いの意識だから、土俵自体を否定するものではないんだよね。土俵に上がった上で巧緻を問題にしている。極端な話「ご説ごもっとも(ハハーッ)」でもいいわけで。これの微妙な部分は、「もっと上手に手の上で踊らせてよ!これじゃ異化しちゃうよ!」って部分で、もっと上手に感情を操るものは、今度は感情を刺激するだけのつまらないものになったりするかもしれないっていう。なんというか、システム的に模範的なパターンに従えよ!って意味になっちゃいそうなんだよね。これの是非論は更なるメタなテーマに移行してしまう。例えば、生物の進化論の方法から物語がどうやって変化していくのか?みたいな応用できるのかどうかを語ったり(?)だとか。
 
最後は方法論的虚無*1でなんでもいーじゃん、みたいな(笑)
 
 

*1:ファイアアーベント!