雑記

 
●ナディア
言ってしまえば、これはエヴァで言うヤシマ作戦なわけですね。それだけなんですけど。そんでもってそれ以外のことは、実際どうでもいい内容の話なわけです。
 
コロニーレーザーみたいな造形で、その中に居ても死なないとか、ジャン達の耐久力はどうなっているんですかねぇ。
 
あの透明度の高いガラスって、ようやく実現しましたね。でもあのサイズとか、どうやってくっ付けたのか?だとか、色々と不可能なことも多いのでやはり無理なわけですが。
 
ナディアがここに来てお姫様扱いされるんですが、ナディアは基本的に否定して否定して否定を重ねていくわけでして、この性格もシンジみたいなものです。いろいろな部分を否定し続けることで自分の輪郭が浮かび上がっていくのかもしれないわけですが、エヴァを見れば「本当の自分」すらも否定するはずなので、物語的な機能ですとか、どういう位置付けなのか?みたいなことを考えること自体が無意味じゃないかと思ってしまいます。
普通だと、貧乏なサーカスで働いている拾われた子なのが嫌で、お姫様になるって展開は王道的というかなんというかなんですけど、そのお姫様扱いする人が悪人なので、ともかくシャットアウトなわけですね。
 
物語構造として分類すると、「中心への旅」だと思いますが、「中心への旅」は中心が存在しないことを発見するのが終着点になります。その意味では、ネモとか、ガーゴイルの最期とかはそういう方向で纏められているんですけども、それはずっと先の話なので割愛であります。
  
自分探しの究極は悟りなので、悟らないなら適当なところで誤魔化して終わるのが宿命というものです。他人に優しくしてもらえる自分探しをやるか、それでも他人に価値を見出せない場合、「社会」などの人じゃ無いなんかの概念をもって来て、「社会貢献する自分」とかで納得するしかないんです。そうして人を超えるメタ的なものに自分の価値判断を委ねるような真似しても、そんなのは神の代替物でしかないわけで、神から逃げた結果として運命を神頼みにするって話なら、滑稽でしかないんです。それが嫌なら、俺がいいんだから、いいんだ!とか自分で決めるしかないのですが、自分でどうにかできる範囲の狭さで引き篭もるしかなくなっていきます。山に籠もれば仙人で、部屋ならニートかヒッキーです。
 
ナディアの自分探しは、これらの意味では非常に目的意識も乏しいし、行き当たりばったりで見てて辛いものです。分析できたとして、「だからこの作品は人気があった」もしくは「構造的に優れていた!」などの結論には至らないと思われます。島編もあるし……。