雑記

 
  
バガタウェイ 10巻
非常に出来が良く楽しい10巻でした。セタミィの大野城戦決着から、四極の話が進展し、この先の展開の伏線を張りつつ小倉中央の紅蓮の豪姫、陣原と対戦。不満は11巻はいつなんだよ!ってぐらい。
ネタバレだから書かないけど、四極の母親との会話、そしてライバルのセリフ。素晴らしい。引きに出てきた人物といい、勢いというかノリというか、積み重ねてきた作者の成長がパーッと花開いていくのを見ているかのうようでもある。
 
 
マンガのデキとは関係ないけど、膝を痛めているキャラが漫画世界には多くてアレだ。大半は努力したから膝を痛めているのではなく、膝の扱いが粗雑だから痛めているに過ぎない。究極の固定土台である大地に対して、股関節は人体でもほぼ最大の自由度を誇っている。それに比較して膝がキチンと正常に運動できる角度は、ごく限られている。自転車に乗っているとすると、腰掛けるサドルと、運動を受け止めるペダルの関係を考えれば良い。これに対して人体は、ちょっとガニマタで座って自転車をこぐことが可能である。その場合、最適な運動角度としてみればズレていることは容易に理解できるだろう。自転車では「自重を受け止める必要がない」から安全だが、体重を受け止めざるを得ない多くのスポーツにおいて、膝下の扱いが粗雑であればどうなるか。自己回復の限界を超えるダメージが蓄積し、壊れるのは自明であろう。膝か壊れるのは、努力が足りない証拠なのであって、努力した証拠などでは断じてない。「膝が壊れないような努力」を怠ったのが原因だ。
まぁ、こないだのマガジンのバスケ漫画のように外傷のケースもあるだろう。じん帯などを損傷した場合、「膝の最適角度」を保つことが出来なければ、簡単にズレて、水が溜まったりすると聞く。逆に言えば、もし仮に最適角度を保ったまま運動できれば、痛くなりにくく、且つ、高度な水準でのプレーが可能だということになる。それが靭帯ならぬ人体の理というものだ。最適な角度を保持できれば、それはハイパフォーマンスを生む素地になる。もちろん、膝下の扱いだけ巧くても意味はないけど、ゾーンに入った時だけ、膝の痛みを感じないままでプレーできるキャラとかは居てもおかしくない。陣原には無理だろうけど(笑)
 
 
玩具修理者 著:小林泰三(小説)
角川ホラー文庫。別に怖くはないのだけれど、この作者の作品は好きな人が多いと思う。題材はアリガチだし、ヒネリも足りていない。しかし、その文体は まさに「一読に値する」ものだ。
一説に、小説家は、文体が完成すればそれだけでメシが食えるなどと聞く。この小林泰三はその典型的なタイプではなかろうか。ぶっちゃけてしまうと、幻魔大戦などのシリーズを書いた平井和正と同じで、猛烈な熱力でぐいぐいと引っ張って読ませるタイプなのだ。文字の並びなどを比較したわけじゃないけれど、同質の方向性を感じさせる。読者がその存在を知るかどうかだけが問題か。
平井和正よりも更に熱力は高いかもしれない。その熱力でふらふらとした酩酊感すら引き起こす。その能力をホラーに応用したものだろうと推察される。平井和正の小説は完成度が高い割にふらっとしてるところがあって完結に漕ぎ着けることが出来ない悪癖があるので、あまりオススメできないのだけど。
本なんて別に読みたくないと思っても、この手の作者に掛かったものは何ページかめくっているとぐんぐん引き込まれてしまう。そういう体験がしてみたい人には、是非。
 
■ 櫻子さんの足元には死体が埋まっている 著:太田紫織(小説)
角川文庫。3巻まで読んだけどもオススメ度は低い。アマゾンのレビューが面白かった。ミステリの体裁からすると行儀が悪いというものだ。視点主人公の観察が不十分なため、謎解きに必要な要素が足りず、探偵役の櫻子さんがちゃっちゃと解決してしまう。ホームズだという指摘がお見事でそれ以上のことは書けそうにない。
骨をテーマにした作品は(見てないけど)海外ドラマでやっていたし、その辺の焼き直しだろうと思ってしまうのだが、この作品は「軽さ」が良い。エンタメは軽さも武器になる。疲れている時に重たいものは読みたくないものだ。WUGなんて見る前からストレスで避けちゃってるもん。するする〜って読めるのはそれだけでプラスポイントなのだ。読み易いってことは良いこと。
北海道の地元情報で美味しいものなんかをさらさらっと書いて、本体部分の物語に移行するんだけど、基本がしっかりしている印象。
物語の味付けが、ちょっと違ってる感じがあって、いわゆる女性読者の感性の違いが楽しめる〜とか言ってしまうと楽な感じ。王道を外そう外そうという意識によるものの様な気がする。
しかし、だ。1巻で密室ものがあるんだけど、不自然さの塊りなのな。それを炙り出していて、メタな意味で楽しめた。あらゆる要素や設定を、そのために編みこまないと生まれないものが密室殺人なのかもしれない。そんな幸運が連続した結果が、密室殺人事件なのかも。
 
 
・「この空のまもり」を買った。衝動買いである。といっても、本屋に置いてあるか確認に行ったのだから計画的衝動買いという意味不明な結果だけれど。NEXTフェアとかいうオビが巻き付いているから、本屋グッジョブbとかいう筋合いではないのかもしれない。まだ読んでいないものだからどうとか言えないけれど、どちらかと言えば「まめたん」の方をオススメして欲しかった。広く読まれた方が幸せな本ではないかと。
 
 
・無駄は人生を豊かにするかというと、どうだろう。
例えば、俺のブログは無駄なんだよね。やる必要はまるでない。書くことによって得ている何らかの報酬があるといえなくもないが、その大半が実際には「書く過程」で得られるものなので、現状では公開する必要はないんだ。従って、公開する「つもり」で書けばいい。公開するレベルにない駄文を抹殺することもよくあるし。逆にそんな駄文を表に出しちゃうのもしょっちゅうだ。公開したものがまっとうなレベルのましな文章かと言われると、ぶっちゃけ疑問だし(苦笑)
更には公開しなくても、公開している「つもり」であればいい。例えば、ミクシィなり、はてななりのサービスが、どんな過疎ブログでも一定の足跡が付くような仕組みになっていて、それを俺が知らなければ、ほぼ同じだけの効果が生まれるだろうと思うんだよ。書いてカウントが増えたら喜んで、書いてない時期にカウントが増えていると申し訳なく思う。そういった部分を動機だのモチベだののために利用していることはあるが、それが厳密に得ているもの=報酬かどうかはわからない。そう、つまり無駄は人生を豊かにする!と言い切って、他者を説得する材料とするには弱いわけだ。金銭的な報酬を得ています(えっへん)ぐらいのレベルなら、客観的な材料として説得も可能かもしれないけど、俺には無理だ。
「なら、やめちゃえば」のセリフに対して、どうやってモチベを維持しているかと言えば、モチベなんて維持していないんだよね。書きたくなければ書かない。それだけ。いや、そうはっきりさせてしまうと、「おおう!今日は書きたい気分なのか!?」みたいな感じでこっぱずかしくもなろうというものだけど。もう少し金銭的な報酬を得られる方向に時間を使って、前向きに努力すれば?と言われたら、苦笑いするしかありませんな。まさか正しいことの前に目がくらみそうになろうとはおもわなんだよ。うしとら的にいえば、おてんと様に顔向けができねぇ!ですな。熱中症か何かになってしまいそう。太っていればダイエットすれば?のセリフと同じぐらいに難しいというべきか。そうなるとゴハンに相当する優先事項が存在してそうなんだが、このブログでそれは何なのだろう?
まぁ、だからって無目的に無駄をするのが得意かというと、苦手なんだけどね。散歩なんか特に顕著で、だらだらと歩くの苦手だわ。目的人間の弱いところというか。小さな目的をコロコロ変えたり、手段を目的に転換したりすればいいんだろうと思っても、ちょっとね。昔は有意義かな?って思う人間だけを選別して友人にするかどうか決めたりとかしてたしな。付き合う人間を選ぶのは今でもやってる気がするけど。全部を変えたり、やめられるわけでもないというか。
しかし、ウチの親も、ウチの猫も、もしかしなくても俺自身からして、無駄に生きてるだけなんだよね。それが悲しいかは別として。いや、反論を思いついたぞ。ウチの猫は「無駄に可愛い」。余計に、余剰にって意味なら、極みと同じ性質じゃないか(笑) おおっ? 無駄な本、無駄口、おお、中庸を良しとする概念でしたか。なるほど。まぁ、親にも猫にも無駄に長生きしてほしいとは思うよ。
無駄はカオスの一形態か。であれば、有意義が取り出されるまでは全てが無駄だってことだな。無限も無駄だと思うと、なかなか奥が深いな。必要量ぴったりしか存在しない世界とかってのは、中々愉快な地獄かもしれないね。ホラーだな。
 

もう朝なので、ここまで。