雑記

 
忙しいのでもう寝る宣言
 
ブラック・プレジデントってドラマを後半?ぐらいから見たんだけど、結構面白そうだった。作業中にふわふわ考えていて、どうやら「ドラゴン桜」の形式だな、と気が付いた。今さっき調べたら、しかしあの作者は関係してなかった。
単なるブラック企業の物語だとつまらんので、その社長が大学生になっているっぽい。社長っていうトップの立場と同時に、ぺーぺーの大学生の立場を合わせる手法。似てると思ったんだがなぁ。
 
 
■プレゼン能力をありがたがる連中が大勢いるのは知っているのだが、どうにもうさんくさい。説明することはあっても、プレゼンすることはないので、どういうことなのかと考えてみた。仮の結論ではどうも洗脳のことらしいぞ、と思い至る。なるほど、納得である。他人を支配、制御することを喜びとする小人がいかにも多いのが世の常であろうよ。
とまぁ、大上段の更に上から叩き切る真似をしてみるのだけども、言葉が一定の量(?)持っている、洗脳的な性質とか、力はあるんだよなぁ、と思ったり。ある意味では、それが言霊ってことかもしれぬ。まぁ、言霊が洗脳とかって安易の浅はか極まりないものだけども。夢もロマンもへったくれもない。ミラーニューロンでもいいけど、そういうのだと女の子の服のヒラヒラほどの魅力もないような気がする。いいよね、ヒラヒラ。じゃなくって。
 
気を付けた方がいい、俺の洗脳力は53万だ!とかの冗談もあるんだろうけど、まぁ、普通に生活してて、相手に言葉が伝染るんですしちゃうことぐらい誰だって経験があるだろう。いや、ぼっちとかニートとかもいるだろうけど。
気をつけないと「俺の言葉」を相手にうつしてしまうのには気が付いているけど(ああ、リアルの話ね)仮に恋愛とかが洗脳勝負だとした場合、洗脳したもの勝ちってこと?とかくだらない事を思わなくもない。いや、そもそもの問題は、わたくしめの普段のいい加減な部分が相手に伝染しちゃうと、集団のモラルが低下したりとかがね? いかんなって思うわけですよ。やっぱ、こう、キリッとしていないとイカンのですよ。まぁ、無理なんだけど。
 
んで、ブログのことを考えてみるわけですよ。
ウチのブログの洗脳力がどのぐらいあるか知らないけど、洗脳力として考えると明らかにネット弁慶だな!って思うわけですよ。人と会話する時には、相手があることなので、好き勝手に自分の話たいことを洪水みたいにドワッと話せるわけじゃございません。だから、洗脳力としては低くなりやすいと思う。
ブログはどう? いやいや、完全に文脈を無視した話とかは(これでも)自重してんだけどさぁ、でも唐突に書きたいことを書いたりできるんだよね(洗脳の話とかね)
 
なんかさぁ、俺って自分語りが足りないのかもしれない。自分語りはオナニーってのが定説というか、結論なんだけど、もしかするとウットリと自分語りすると女の子が洗脳されて、好きになっちゃったりみたいなのとかあるんだろうか。……なんかキショイ!(笑) そもそも自分語りをちゃんと聞いてくれてる時点でゴールに到達している気がしなくもない。
 
やっぱさー、うっとり語るんだったら中心軸の話がいいよ。こないだの浅田真央の話とか、端折りまくりだもんよー。ジャンプ前に背筋をクッと伸ばすところで「おっ、中心軸だ」って感じでさー。もう失敗しないんだ。ちょっとYoutube見てみたけど、画質が荒くてダメだった(笑) 
 
もう中心軸中心軸言ってるのって俺ぐらいじゃね?って話だけども。本格的に中心軸洗脳大会とか始めるべきなんだろうか。
 
世阿弥の「目前心後」もそうなんだけどさー、武蔵も中心軸のことを心って考えている節がみえる。武蔵が世阿弥の影響を受けている可能性はあんのかもしれないけど、そういう細かいことは置いておくことにして、現代人である俺なんかのイメージでは、中心軸は「機能」に分類されるものな訳ですよ。意識装置だから「装置」とかね。「機能」「装置」では、心とは遠い。じゃあ心って何?と思うと、自我とかが心なんじゃないかと思ってしまう。
天才にとって、心とは中心軸のことなのかと思うと、えらい味わい深い話じゃありませんか。(まぁ、簡単に理解されるとは思っていないけど)
 
 
いいな、ブログ。もっと好きなことを書いていいのかもしれない。中心軸のことばっかり書きたいぐらいだ。医龍4は歩き方が下手でイライラしてたんだよ、みたいな。まぁ、ダメか。うん、適当にやろう。

ねるっす。