雑記(背骨本 / そのチカラの名は?)

ドライブ軸での衝撃の展開とその勢いでいたら、既に新刊が出ていたっていう。2か月遅れとか周回遅れなんだけど、個人的にはちょうどいいタイミングだったかなー。
 
 
〇背骨が通れば、パフォーマンスが上がる!(カンゼン社、高岡英夫著)
本の題名とかを確認しようとして裏表紙とか奥付?とかみてたら骨連動シリーズになってた。カンゼン社からは肩甲骨本、股関節本が出ていて、前回が疲労回復本だったんだけど、疲労回復は別扱いのようで、背骨本として3部作っぽい形式。
 
やたら難しい。しっかり読み込まなきゃいけないタイプの本だけど、割と忙しい。読み込めていない。うーむ。AFSをテイクバックに置き換えてる? なんで? 連動と背骨の回転からみてるからかな? 高岡先生にしてはふわっとした理論な気がするなぁ。それと四肢同調性は四肢同調性のままだったっぽい。甲腸同調性だかの名前になったもんかとばっかし。まぁ、無視してたけど。
 
残念だけど割体は諦めるしかなさそう。苦渋の決断というよりか、単純に無理。割体が必要なレベルで動いていない。電車で通勤して、パソコンで作業してる状態で割体は使わんでしょ。練習しようがない。やりようが思いつかないんだよなぁ。うーん。人間として生まれて来たからには、割体まで行きたかったけどなぁ。歩きはドライブ軸のための3軸格定でリソース使っちゃうもんねぇ。うん、無理。
 
背骨本の中だと、「垂体一致」が割と3軸格定と近い。というか、割と重要そうな位置付けっぽいのでそっちをやろうかと思ってた。というかできたんだけどね。練習もなにも、「垂体一致軸、格定」って訓練すればできるわけで。効能に「悟り」「無心」「ゾーン」とか凄いパワーワードが並んでて、そんなに? そこまで凄いの?って感じなんだけど。……いや、個人的にね、悟りに関しては一家言あるんスよ。一言多いとも言うけど。

んで、翌朝。「うぇ~、仕事いきたくねぇ~」とかってダルダルだったのを宥めてた。横になったまんま軽くゆるとかしてたら、ダルダルがピターって止まっちゃって、「なんぞ? どゆこと!?」ってなったよね。立ち上がってみたら、ライド出来てる。体から電気みたいのがピリッと走って、「不惑」って文字かなんかが浮かんだ。このチカラの名は、「不惑」だ。
 
何を言ってるかわからないだろうから、文脈を説明していくね? 俺と近いレベルの人の考えることはほとんど同じなんだ。身体意識の理論はディレクトシステムという概念になっている。ディレクト=指揮なので、身体操作はディレクティッド、指揮するではなく、指揮されるもの、になるわけ。極意とか身体意識に、操作を「ゆだねる」ことになる。俺は物語の都合上、ライドと呼ぶことにしたんだけど、まぁ、いうてしまえば自動操縦みたいなもんだよ。無心になることで、身体意識(極意)に、操縦をゆだねるわけ。その一連の仕組みをディレクトシステムっていうわけだ。

これが部分的にでも出来るようになるとどうなるかっちゅーと、「仕事とか代わりにやってくんねーかな?」ってなるんだよ。ズルけた考えだけど、自動操縦で体が勝手に動いて処理してくれたら楽ちんじゃね?ってな。俺はそれを見ている(ライドしてる)だけ。まぁ、香ばしいよ。でも、戦闘みたいな複雑なことができるんなら、家事とか、なんか単純作業とかできてもおかしくはないよな? な? とかって思うじゃん。……で、やってみるわけだよ。当然、やってみるわけじゃん? するとどうなったかっつーと、もうグッダグダなわけ。「やりたくねぇ~、ウゴゴゴゴゴ!」ってなるんだよ。それを宥めて、すかして、緩めて、どうにかこうにか、先っちょだけ!先っちょだけだから!ってお願いして、それでどうにか無心で動けるかも?みたいなのを延々と繰り返していた。それが日常だったわけだ。
 
垂体一致したら、ガタガタ言わなくなって、ピターって。もう逆にね、普段から宥めすかしてた側から言わせてもらうと、ブラック企業の匂いがしたよね。高岡先生とかって体がガタガタ言わなくなったのを良いことに、修行三昧したろ、これ?って。ブッダも、若いころは苦行・荒行にのめりこんだらしいじゃないさ。体を酷使するの好きだよね。でも絶対に体に裏切られたでしょ。それで悟りに到達したんだと思う。後で調べてみたら、不惑(四十にして惑わず)は孔子の「論語」からだから、ブッダ関係なかったけども。今の俺の垂体一致の状態だと、たしかに無心なんだよね。ガタガタいわんくなったし。悟りかどうかはかなり微妙。ゾーンってのもよくわからない。もっと完成度が高かっから、そういう感じになるのかもしれないけど。
 
垂体一致から逆に見てみると、たしかに心と体がバラバラの状態だと、不満タラタラのへっぽこプーなのかもしれない。悟り散らかした時と割と近い状態の気も、しないではないかなぁ。同じとは思えないから不惑っていってんだけども。あの時は自我を切り離して、相対化、更に消したような感じだったからなぁ。「私は自我ではない」という移動が起こっている。自我を見ているものが私であり、自分と考える自分の本体なんだ。だから自我を自分だと考えていたら自我を消せない。切り離すこともできない。こうしてハッキリと切り離した経験があるから、自我が単体で表に出やすくなってて、性格が悪くなった。もっとずっと本体と混ざっていて切り離せなかったからね。本体は善性だもんで、自我は悪意っぽいとすら思う。……うむ。悟りの話を繰り返しするのは、本体の「私」に触れたいからかもしれないな。人の本体は、魂であり、愛。つまり神と呼ばれるものだ。

やっぱ、垂体一致だと悟りにはならないと思うな。でも現行人類の進化した姿である「働き者のおばちゃん」にはなれるかも。いつも元気で、マグロかよ?とか思うぐらいセカセカと動き続けるっていう。休まないしね。疲れ知らず。たぶん魚類だと思う。
 
 
・ゆるはほぐさなくてよさそう(?)
話の順序はこっちが先なんだけど、ゆるのやり方が変わるかも。結論としては脊椎の波動運動だけやれば、魚と同じレベルまでならゆるめることができそう。
 
背筋が凝ってたら、ゆるめて、ときほぐすというのが従来の思考、発想だった。
 
俺の考えは少し異なっていて、脳と体が1対1に似た関係になっていることから、この関係の中でゆるは発生しているのだろうと思っていた。

脳から見た場合、かたくなってる部位ってのは、「動かせなくなっている」という意味になる。老化ともいう。404でリンク先が断たれている状態な訳だ。シナプスニューロンかは知らんけども、脳神経系の衰えによって断線しちゃっていることになる。

逆に体から見た場合は、脳からの刺激が来なくなって久しい。だから「動かしようがない」わけだ。なので外部からの刺激が必要になってくる。波動運動なんかによる巻き込み事故でもって動かされた時に、動くってことだな。動いたという結果があれば、脳に「刺激が加わったこと」が伝達され、時間と共にシナプスだか運動ニューロンだかが再接続されるようになる。再接続がなされれば、外からの刺激に頼らなくても、脳からの指令で動けるようになる。それを柔らかくなったとか、ゆるんだと呼ぶわけだ。
 
ゆる体操のメリットは計り知れないけど、運動そのものとして観た時に、優れている点が2つある。波動運動であることと、柔らかく動かそうとすることだ。波動運動は、上記したように巻き込み事故を引き起こしやすい。柔らかくしようと狙っていない部分も、知らず知らずの内に巻き込めてしまう。もう一つが柔らかく動かそうとすることで、これは単純に情報量がまるで違う。カクついた出来の悪いロポットみたいな動きも運動には分類されるだろうけど、トロトロに柔らかい動きと比べたら、何十倍、何百倍も情報量に差がある。シナプスや運動ニューロンを刺激して、脳を活性化させたいのであれば、刺激は大きい方が良い。効率が断然に異なるからね。
 
でも魚はゆる体操なんてやらない。これは人間にだけ必要なものだ。何故だ。坊やだからさ? 違うね。脊椎動物の癖に、脊椎運動してないからだろ。なので、解そうってかんばらなくても、背骨をある程度高度にクネらせられれば、ゆるむことになりそう。高度な操作能力は得られないかもしれないけど、効果としては十分かも。
 
なんだろう。リングフィットとかじゃなくて、背骨の動きを感知するゲームがあれば、魚RPGとかあったらみんな背骨動かしまくるのかもしれないけど。うん、無理だな。でもトッププレイヤーは時速100キロ超えるスピードが出せたら楽しくない?みんなで背中をくねくねさせんの。買うかは微妙だけど。センサー付きの服みたなのが必要っぽいしな。5Lなんて作らんだろ。
 
今回の本で、働き者のおばちゃんへの道が開かれたと思う。諦めてはいけない。人類の最前線は近いぞ。