雑記(選択的夫婦別姓について)

思うことを書いておこう。
 
■選択的夫婦別姓について
個人的な立場としては、賛成派だったのが、だんだんと反対派に回っていってる。今は「やるべきではないかも?」ぐらいになってきた。
 
お役所の立場に立って考えると、とても面倒でやる意味が薄い。やらない方がマシに見えるんだよね。戸籍とか住民票とかの制度はただでさえ煩雑なのに、これに今から追加する意味がほぼ無い。要するに、個人的な感情の納得に合わせて、社会の仕組みやら制度を変えろってことなわけだ。個々人の立場からすれば、「別に(ちょっと)やればやればいいじゃん?」なんだろうけど、役所側からしたら膨大な手間の割に、意味が見いだせないものになりそう。「夫婦別性なら結婚します!」とかっていうバカが多少いたとしても、子供が増えるのとはほぼ無関係。子供の出生率が増えるかどうかは、金銭的な問題の方が影響が強そうだし。いや、個々人の感情的な満足とかは上がるのかもしれないから,まるでやる意味がないわけじゃないんだろうけど。それがどうした?ってレベルだろう。
 
各省庁と都道府県、市区町村とかで別々に記録を管理してて、分散しまくりんぐだもんなー。マイナンバーだとか個人番号がようやく成立したけど、そこに集約する作業なんてこれからだろうしなぁ。デジタル庁とやらが機能するんであれば、最低限、その後にやるのが妥当というか。無駄なバカをやるにしても、まだ時期尚早というか。個人番号制度とか、学校でマイナス教育されたもんなー。そりゃ進まねぇよなー。
 
感情論としては、女性が男性の名字を名乗らされるのは不平等だ!とかなんだろうけど、女性が家を継ぐ関係で、入り婿になってくれる人を探してる人もいるしなぁ。女性側の感情の問題うんぬんではなくて、家を継ぐとかの話が中心だと思うんだよねー。名前変わるのがヤダなら、結婚しなきゃいいじゃん?で終わりだし。だけど、女性側の家を誰も継がないのはダメって話なら、それは議論の余地があるかなって思う。
 
 
とはいえ、賛成派がバカばっかりだから、これはやらん方がいいのかもしれんってマジで思ってしまうよね。「ちょっとやってみればいいじゃん」みたいな『理解ある男性のフリしてるだけの奴』とか、「海外は別姓なんだから、別姓でいいんですよ」とかって外国にコンプレックスがあって知性が無いの透けちゃってる奴とかね。正直にいって、低レベルお断り!なんだよなー。
 
社会制度は社会情勢に合わせて適宜更新していく方が健全ではあるけど、スーパーマンの息子がゲイになる時代だしなー。バカに流されたら滅茶苦茶になるだけだろ。
しかもこれって美容整形の失敗の話とそっくりの構図でさー、自分に自信がないから、何度も手を入れちゃって、最後には顔面が崩壊するってやつそのまんまやろ。制度は顔面と違って崩壊しないかもしれないけど、国家とか社会とかは崩壊するからね?「ちょっとやってみよう!」で民主党の時代が来たけど、なんの成果も残せていないし、お土産だけ置いていったよな? また繰り返すのか?記憶力ある? インテル入ってますか?って煽りたくもなるだろうがよ。
 
先進国として、経済的にも割と上位をキープしている国なのに、まるで自信がないよね。オラが国自慢しろとは言わないけど、上を見ているつもりでも、まったく下を見てないのは問題じゃないんかね。先進国としての日本の制度ってのは、諸外国からすれば成功例のひとつのはずだろ。それなのに、周辺国と違うと不安になっちゃうとかって、肚とか肝とかが据わってなさすぎ。日本の制度を真似してみようか?と思う国があるかもしれないだろ。自信がないから整形します!っての、バカのやることだから。
夫婦同姓の国、日本だけらしいし、国連で改正勧告されてるっぽいけど、改正した国が結果としてどうなったかをじっくり観察してもいいんじゃねーかと思うなぁ。
 
だってもう夫婦同姓の国の成功例は日本しかないんだろ?それは結構、凄いことだと思うけどなー。
 
気になってることはもう一つあって、エマニュエル・トッドが繰り返し唱えている家族制度の話がある。なんか日本とドイツが成功例だと言ってんだよね。安易に変えるべきではないのではなかろうか。
社会みたいな統制されたカオスと対峙するのに個々人ではどうにもならないわけで、サマーウォーズみたいな家の力みたいなのは、基本的な攻略法だと思うんよね。もともと結婚は家同士の話だったわけで、それは家同士を結び付けて戦力を強化する方向に働いていたわけやんか。自由恋愛を謡うようになった結果なのか、社会情勢の変化なのか、核家族化が進んで、結果として現在に至る訳だけど、個のパワーは弱体化しているように思える。というか、個のパワーじゃなくて、家として力を付けていこうって戦術が弱体化してんじゃねーのかなぁ。
 
もっというと、お金持ちのお嬢さんと逆玉とかの話って、相手の「家の力」の話なわけでしょ。相手の家のメンバーとして参加したいとかって。地縁って強さなんだよね。簡単にコネとか人脈とかって言葉を使いたくなっちゃうけど、それってもともとの友人が成長して、社会で影響力を持つに至った結果なわけでしょ。それが親の友人とかの話だったりするのかコネなわけでさー。
もしかするとだけど、別姓を選択しない家が成功して、別姓を選ぶ家は破綻しがちになるとかあるんじゃねーの? いや、個々人の能力で成功・失敗は決定するかもしんないから、必ずそうなるとかじゃなくて、傾向とか、継続的な視点で家族関係がどうなるかとかの話だけど。
 
偉そうにグダグダ書いたけど、家は父方も母方も、親戚の人柄があんまりあんまだったんで縁が薄いんよね。ほぼ途切れてる。天涯孤独とかもう間近だったりでさー。戦術的に弱いなーって実感するんだよね。個の力で覆せるものとそうでないものとがあるよ。人海戦術とかは特定状況下では圧倒的に強いんだってばさ。
 
夫婦別姓で子供の名字はどうなるんだろうね。それって、相手の家の養子に入らなくても良くなるって意味なのかもしれないんだよなー。これだと「家に入る」って概念が崩れることを意味してそうだから、いい側面と悪い側面がありそうだよなー。自由に変更が可能だと、記録が膨大なことになりそうだし。
言っとくけど、データの保存にバーチャルなんて存在しないからな? 全部物理的に保存が必要だ。紙から電子媒体に変わるのだとしても、ハードディスクだとかサーバーとか、全部が物理的な保存が必要なものだぞ。随分とコンパクトにはなったろうけど。でも、それが壊れたら全部吹っ飛ぶわけで、そのためのバックアップも物理的に必要だ。虚無から湧き出てくる何かだなんて、なんも無いんだからな?
 
まぁ、失敗してみたいだけじゃねーの? 失敗するまで学ぼうとしないのは愚者だけどな。歴史から学べといいたい。学ぶことが多すぎて、何を学べばいいのやら?だけどさー。
何が正しいのなんか、わかるわけもなく。だから多様性があった方がいいわけでね。政府には安易な選択は謹んで頂きたいものであります。はい。